歌詞と台詞

 8時前に県民会館に行く。毎年のことだが、7時くらいには文翔館(旧県庁舎)前に生徒が集まりだして、歌っている。今年は快晴で朝から暑い。
 
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 県民会館は文翔館の、通りを挟んだ南側にある。もう築50年くらいかと思う。噴水があるが、小学校の頃、朝早く来ると夜のうちに照明に集まったカブトムシなんかが浮いていたのを覚えている。自分は小学校の頃、旧県庁の裏に住んでいたので、この辺は行動範囲だった。この噴水の周りにも生徒がクラス毎に集まって歌っている。これは昼休み時の風景。
 
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 結果は3年生が5位までを占めた。やはり声が大人になっているし、2週間という短期間にまとめあげる経験があるからだろう。1年生はまだ声が出来ていないし、課題曲は中学校で合唱するような曲とは違うのである。各パート(アルト、メゾソプラノ、ソプラノ)のバランスも難しい。優勝したクラスは、課題曲も自由曲も伴奏のピアノも素晴らしかった。自由曲の「イタリアの女が教えてくれたこと」は、他のクラスの曲とはちょっと違っておもしろい選曲だった。
 選考の間に音楽部の合唱がある。今年は70人くらいいるので迫力がある。東北大会常連の部。もう、クラスの合唱を超えること遙かである。
 以前北高(普通科は女子生徒のみ、音楽科に男子生徒が若干)にいたときも合唱コンクールがあった。そちらも上手かった。北高では合唱部の後に音楽科の生徒が(声楽家志望)10数人で歌うのだが、これがもう、合唱部の歌のレベルをさらに遙かに超える。「落葉松」なんか、同じ曲なのにクラスで歌うのと全く違うものになっていた。心の底が震える。
 
 審査員は5人。いずれも音楽、合唱の専門家である。講評でみなさん歌詞のことをおっしゃる。歌詞は歌の命だと。歌詞を解釈し表現する。それが聴衆に伝わったかが問題なのだと。
 自分は演劇と関連づけて聞いている。台詞のことだ。同じ台詞を違う人が言うときの解釈と表現の深さ、レベルの差の問題だ。発声の技術的問題もあるが。台詞の内容が伝わらなければ、それこそ無意味である。 
 台詞は芝居の命ではないのか。
 プロの俳優の台詞と高校演劇の役者の台詞。その差はやはり遙かだろう。
 
 終了後、部員の何人かは県立図書館(生涯学習センターに付設されている)に行き、調べ物。取材である。内容はここでは秘密。その後18時から、6人ほどの部員が日大山形さんの定演を観劇。