井上ひさし追悼 こまつ座第九十一回公演

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群読のために『水の手紙』・朗読劇『少年口伝隊一九四五』井上ひさし、作 栗山民也、演出
11月23日(火)14:00~ 川西町フレンドリープラザ
 
 
 開演前、舞台には黒い地がすり。プロセニアムのように細い縁が区切っていて照明が当たっている。ホリゾントは暗いまま。下手奥に椅子(ビオラ演奏者用)。中央に白い円形の布、径は4間弱か。上に球形のもの(照明が当たって地球と分かる)が吊ってある。最初にビオラ奏者登場。続いて「地球」「惑星」「水」を繰り返し言いながら20名の男女が登場。群読とは言え、白いサークルに沿った動きなどがあり、動的である。地球温暖化による環境問題と人間の関わりを、若い役者さんたちが懸命に訴える。
 
 
 およそ45分で終演。続いて、井上麻矢さんによる、父への手紙の読み上げがある。一昨日までの東京公演では、数々の役者さんたちが井上ひさし氏へのラブレターを読んだのだという。亡くなって7ヶ月である。
 
 
 
 15分の休憩後、『少年口伝隊一九四五』。暗転幕の裏で装置が転換され、小学校の木の椅子、3種類12脚が横1列に並んでいる。後ろに高台、ギタリスト用の椅子と譜面台。いずれも黒くしてある。その後ろは黒紗幕。ここに、照明で原爆の閃光や蝿の群れなどが表現される。役者さんたちが登場。男女6人ずつが交互に座る。全員白い半袖開襟シャツ、ブラウスと黒いズボン、スカート。女性の髪は束ねたりお下げにしたり、戦争中の感じにしてある。台本を手に持っている。(多くの場面で役者さんは台本に目を落としている。)
 椅子が並んでいるので、立つ、座るなどのシンプルな動作に限られる。しかし、その台詞の圧倒的な力!! 胸の底が揺り動かされる。言葉の持つものすごい力を、観客全員が感じただろう。言葉は記憶を伝える。記憶とは、何に、どのように、どんな感情が生じたのか、その感情の記憶である。その意味で一つの言葉には一つの物語がある。井上ひさしの書く台詞の背後に、どれだけの思いがあるか、はかりしれない。『父と暮らせば』に描かれた父娘のエピソードも語られる。が、そのほんの少しの台詞だけで脚本1冊分の感情が伝わってしまうように感じられる。家族を失った3人の少年が、中国新聞社に口伝隊として雇われる。哲学じいさんとの出会い。1人は原爆症で亡くなり、もう1人は台風の豪雨による水害で行方不明となる。絶望する英彦に哲学じいさんは言う。「狂ってはいけん。生きている間は狂ってはいけんのじゃ。」「広島の死んだ子供たちがなりたかったものになるんじゃ。今となってはそれしかない。」
 英彦も昭和35年原爆症で亡くなる。哲学じいさんは3人の名を墓に刻む。
 
 暗転による終演。拍手。役者さんが退場しても続く拍手。およそ1分は拍手していただろうか、拍手しているのが少しも苦にならない。カーテンコールの用意がなかったのか、戸惑ったような役者さんたちとギタリストが登場、一礼して去る。
 すばらしい舞台だった。東京では井上氏の作品はあまり笑ってもらえないとかいう話を聞くが、山形での上演には暖かい大笑いがある。川西は氏の故郷だもんな。今回は笑いはないけれど、感動の証拠の長い長い拍手があった。