十一ぴきのネコ  こまつ座&ホリプロ公演

 井上ひさし誕生77フェスティバル2012
 『十一ぴきのネコ』 原作、馬場のぼる  作、井上ひさし  演出、長塚圭史
 2月5日(日) 13:35頃 開演  16:00頃 終演 (途中休憩15分)
 川西町フレンドリープラザ  入場数 ほぼ満席(717席) 入場料6000円(全席指定)
 
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 晴の一日、山形駅から直通貸し切りマイクロバスで会場へ。福島からの直通バスもあった。
 緞帳開いている。緞帳線の後ろから2段上がって、奥行き1間ほどはやや上り坂で、その後ろは袖から袖まで2尺ほどの高さの舞台になっている。奥後方は役者が下りられるように空間がある。手前の開帳場は4間ほどの幅。その上・下は空いているが、下手にはアップライトのピアノがあって、音楽を生で演奏する。背景黒幕。舞台面は濃い紺色に見える。休憩中は緞帳が下りていた。
 背景にいろいろな吊り物が下りてくる。野良猫の集まる場所、池、湖。湖は光沢のある幕で、どうも裏から影絵が映るようにできていた。おなじみ、飛行機の模型がテグスで通過していくのもあった。流れ星。大きな魚の骨も登場。面白かったのは、大きな魚の姿を紗幕カーテンに描いてこれを舞台前で引いて見せていたこと。客席に光る星が下りてきたこと。土管から猫たちが続々登場すること。
 音楽とSEはピアノの生音。萩野清子がピアノ、おもちゃのピアノ、鍵盤ハーモニカ、空気鉄砲などを駆使。大きな魚の子守歌も歌う。役者の歌はほぼすべてマイクで拾っている。しかし、歌詞が聴き取りにくい部分もあったのが残念。
 
 開演前から客席にネコたちが登場し、客席の案内などし始める。みな尻尾をつけている。1ベルは生の鈴の音。暗転すると客席のあちこちから猫の鳴き声が上がる。明転して舞台上に北村有起哉のにゃん太郎が登場。その尻尾はネクタイでできている。しばし風と戯れる様子をしてみせるが、柔らかい体と明瞭な台詞が気持ち良い。
 
 お話の本筋は原作絵本『11ぴきのねこの通り、腹ぺこの野良猫たちが大きな湖の大きな魚をつかまえに行くというもの。原作は本当に簡単な展開で進み、最後に「ええ!」という終わり方をするのだが、井上ひさしは11匹に名前をつけ(おそ松くんのようにほぼ番号だが)、個性を付与し、互いの喧嘩や友情を見せ、人間世界との関係を強く打ち出している。
 ネコたちは、大きな魚のいた湖の畔に猫の楽園を築くのだが、11匹はにゃん太郎とにゃん十一以外みな偉くなり指導者となって、野良猫の精神を失っていく。そして悲劇が…。
 11匹のそれぞれを紹介する前半がやや冗慢な感じがするが、原作絵本のほんわかした味わいに、井上ひさしの言葉遊びに笑わされる。ただ、大きな魚を食べてしまってからの後日譚がかなり唐突である。観客がやや戸惑う。そこまでは「子供も分かるミュージカル」という理解で観ているからだ。『決定版~』もこういう終わり方だったか? 
 70年代当時の時代背景が強く出ているが、どれだけ現在の観客に響いているか? ある作家(三島由紀夫)の割腹自殺とか、歌詞には「都会では赤尾敏が演説している」とかもあったようだが…。にゃん太郎が殺される意味とは? 現在の我々は「この暗さ」をどのように理解すればいいのか?
 
 同じ井上作品でも、鵜山仁とか栗山民也の演出を観慣れているせいか、若干の違和感があった(笑いきれない。笑いが落ち着くべき所で落ち着かないような…)。キャストにもよるのだろうが、長塚演出の味がどうだったのか、よく分からない。
 
 終演後の客席のスタンディングにもやや違和感を感じた。地元の観客は熱心に拍手はするが、シャイなのでめったにスタンディングなどしない。これは『組曲虐殺』の時にも感じたのだが、おそらく遠くから観に来た方々が率先して立たれるのではないかと思うがどうだろう。
 
 カーテンコールには演出の長塚氏も登壇していた。