山形平和劇場第27回公演

 平成24年7月28日(土) 午後2時、午後7時の2回公演 (午後の部を観劇)
 山形市民会館大ホール  入場無料 
 2回公演で800人ほどの入場と聞く。ロンドンオリンピックなでしこジャパンの試合と県吹奏楽大会に重なってしまったのは不運。
 市民の手づくり舞台による平和へのアプローチ
 
 もう四半世紀を超えて続けられている公演。その努力の継続に敬服する。第二次世界大戦後67年、なお世界に戦争は絶えず、人の死と、その死を悲しむ人の数は減っているように思われない。そのことに絶望しそうな我々を鼓舞するように、これらの作品は上演され続けるだろう。
 
 第1部 群読と朗読による ヒロシマナガサキ あの日  阿部秀而 構成
 19:05 開演  19:38 終演
 記録、手記、詩などで構成した、原爆投下時の庶民の生と死。自分も多くの記録や手記を読んできたが、数十万人の記憶すべてに触れることなど誰にもできない。同じような経験なのかもしれないが、一つ一つは置き換えられない個別の悲劇である。
 家族の遺体を野焼きする煙があちこちで立ち上る。「お母ちゃんはたちまち燃えて、骨が熾(おき)の間からぽろぽろ落ちました」「その場所を掘ると黒い炭が出て来ます。そこを見ているとぼおっとお母ちゃんの顔が見えてきます。他の子がその場所を踏んだりすると腹が立ちます」
 30人ほどの朗読者。小学生のかわいい女の子2人も朗読に加わっている。
 
 第2部 朗読劇 少年口伝隊 一九四五  井上ひさし 作
 19:40 開演  20:41 終演
 川西町フレンドリープラザで観劇した時に感動した作品。上演時間はほぼ同じ。人数はこちらが23人+ギタリストで、ほぼ倍。若い男性、年配の男性がおり、それぞれ少年とじいさんを演じる。
 1200席という広さのためか、こちらの期待値が高すぎたせいか、「感動」というまでにはいたらなかった。第1部の稽古を小ホールで聞いたときはかなり良いと感じたのだが、やはり広さの問題があるのかもしれない。川西の時は12人が舞台前方に1列に並び、背後の台上にギタリスト、スクリーンがあった。このコンパクトさが舞台への集中力を生んだかもしれない。10間近い間口を持つホールで演じるのは難しかったか。
 中割幕の裾を引っ張って弧を描き、半円の空間を作る中にホリゾントの明かり(さまざまに染まる)、プロジェクターからの投影(原子雲の映像や詩)。背後のサスから原爆の閃光を表現する強烈な逆光。
 3台のポータブルステージが横に並び人が立つ。その前に階段(2段)状の台。人が腰掛けたり立ったりする。中央が2間幅、上・下が1間半幅くらいだから、主要な舞台は間口5間くらいであるが、下手袖近くにギタリストが座る。音はマイクで拾ってスピーカーから聞こえる。
 
 少年の恐怖。原子爆弾という人災と巨大台風という天災、火と水の地獄を経験した幼い心のおののき。その子に大人が、「狂ってはいけない」と言うことがどんなにむごいことか、むごいけれど言わなければならない、言うほかは無いという思い。市民有志(アマチュア劇団員も多く参加)の演じる舞台がどこまで表現できるかの挑戦だった。