北区 AKT STAGE 旗揚げ公演(山形)

 『広島に原爆を落とす日』 作、つかこうへい 演出、武田義晴
 7月21日(土) 18:30開演 20:49終演  於、シベールアリーナ(500席)
 入場料2,000円(全席自由、学生1,000円)
 
 AKTは「アフター こうへい つか」の頭文字だそうだ。
 井上ひさしと同時期に亡くなったつかこうへい。演出もしていたつかが亡くなって、北区つかこうへい劇団が解散した後に結成された劇団。旗揚げ公演で新作と旧作を、それぞれ東京と山形で上演する。
 『広島に原爆を落とす日』は1979年初演ということである。
 刺激的な舞台で、同行した部員4人も堪能した様子だった。
 
 内容は、逆説に充ちている。デモクラシーの世界を開くためにこそ戦争があり、日本は敗戦によってのみそれを獲得できる。負けることで素晴らしい世界を勝ち取るというのだ。
 核兵器が引き起こす惨状を世界に知らしめてこそ、その後の核抑止力による平和がもたらされると。
 原爆投下は世界史の必然なのか。であれば誰がその投下ボタンを押すのか。一人の人間が一瞬にして数十万人の命を奪うなどということが可能なのか。できたとして、その人間ははたして正気でいられるのか。
 アメリカが人類最初の原爆投下国として非難されることを避けるためには、相手国が極悪非道な事をしていなければならない。だから初めはナチスドイツが標的だった。しかし、ドイツが敗れたために原爆は日本に投下する他はなくなった。原爆を使用するために終戦は延ばされる。沖縄をさしだす密約の上に、原爆投下を受け容れることで日本は終戦を許される。そして、その投下ボタンは白系ロシアの血をひく日本人、ディープ山崎が押すこととなる。
 
 芝居の中では時間や空間が入り乱れ、役柄の統一性さえもあやしいので、上記のような内容が整然と語られていくのではない。例によって強烈な目つぶしの照明と大音響が客席を襲い、ナンセンスな台詞が飛び交う中でかろうじて筋が読み取れるという風である。納豆や夏子が何かのメタファーかなど考えることもできない。
 役者の全力の演技。音響がダウンした瞬間に入る台詞。あるいは電気拡声の音量に負けない声量(声つぶすだろう…)。明日も舞台があるなんて、プロだなあと感心した。
 
 しかし、大音響や逆光、絶え間なく降り注ぐスモークの中でも人間は「慣れる」のであり、中程で退屈し居眠りが出来そうになったのも確かである。
 
 つかこうへいの舞台は『熱海殺人事件 売春捜査官』しか観ていないが、演出傾向は、踊りが多いかなという他は、ほぼ変わらないと感じた。