古文
物語だが男女の恋物語ではなく、友人と和歌を交わしたときの風流な話。
文章は主語に迷う箇所もなく、敬意の対象もわかりやすい。基本的な助詞、助動詞、敬語の知識があれば容易であろう。問題文としては適切だと思われる。
設問中に、この問題文に対する批評文が引用されていて、問題文を読み込む手助けになっている。この意図も有効、適切だろう。
問題文への注と牛車の図は丁寧だが、過剰とみる向きもあるかもしれない。
問1 語彙的問題で、部分訳を選ぶ。
「あからさま」「とみ」「かたち」「をかしげ」など基本的なものばかり。教科書にもよく出てくるだろう。
問2 文法的問題。助詞、助動詞の判別、敬語(二重尊敬、敬意の方向)。
①は連用形に接続しているので過去の助動詞とみるべきだろう。
③は「サ未・四已(さみしい)り」でサ変動詞「す」の未然形に完了存続の「り」が接続しているのは正しいが、その下の「人々の顔色が」の部分が不適。顔色ではなく、辺りの景色、様相が一変したのである。
④は、尊敬の補助動詞と同時に用いられる「す、さす、しむ」は使役でなくて尊敬と覚えていいだろう。
⑤の「給ふ」は尊敬の補助動詞だが、「見る」動作主が主人公であって大夫ではないので誤り。
問3 和歌の応答について。状況が読み取れていればわかる。
①は「源少将が誘いを断った」が誤り。主人公は急に思い立ち、誰にも知らせずに出かけたとある。
②は「主人公への恋情」が不適。
③は、掛詞の説明は正しいが、「源少将が待つ」が誤り。
問4
(ⅰ)①は、本文20行以降雲が晴れて月が出るので、12行ではまだ月はない。
③④も同様に誤り。
(ⅱ)①「わずかな隙間が生じ」「一筋の月の光が鮮やかに差し込んで」が誤り。本文は「なごりなく晴れわたりて」「天地のかぎり、…きらめきわたりて」とある。
③「今夜降り積もった雪が、その月の光を打ち消して」が不適。
④「白銀うちのべたらむがごとく」は地上の雪で、夜空の星々ではない。
(ⅲ)①「足手の色を気にして仕事が手につかない」が不適。急なお出ましに慌てて失態を演じているのである。
②「院の預かり」の体調を気遣っているわけではない。
④「都に帰りたくて落ち着かない人々」「周囲の人を気にかけない主人公の悠々とした姿」が不適。
漢文
杜牧の詩『華清宮』について。詩の内容に関しての資料(漢文)との融合問題。
問4までは容易だが、問5、問6には正確な読み取りが必要になる。
問1 一見して七絶とわかる。空欄はない。押韻する箇所を知っていれば容易。
問2 語彙の問題。
(ア)「百姓」の選択肢に「農民」がないので間違えようがないだろう。
(イ)漢文とは限らず、日本語の語彙として知っておくべきということか。
こういった知識(常識、教養)は各人の読書量如何による。
(ウ)「因りて」と読めるかということ。
問3 「有」「所」は返読文字である。
このことから、返読していないものを除外すれば④しか残らない。
「人力」と「人命」の対応に気づけば対句として読めるだろう。
問4 詩の第三句(転句)の解釈。「それを見て楊貴妃は笑う」はみな同じ。
早馬が「来る」の選択肢が三つ。「ゆく」「倒れる」が一つずつ。
何の(誰の)ために荔枝を持ってくるのか。資料Ⅰに「貴妃嗜荔枝」、Ⅱに「明皇致遠物以悦婦人」とあることからわかる。
問5 資料Ⅲ、Ⅳによる詩の事実考証。
Ⅲは玄宗が華清宮にいるのは冬で、六月まで居たことは無い。だが荔枝は夏に熟するものであるので、時期の不一致がある。①②は誤り。
Ⅳは別資料に拠り、玄宗が六月の楊貴妃の誕生日に華清宮を訪れ、荔枝が献上されていたことがあったとする。詩の内容と一致することになる。しかし③④は「荔枝香」の説明が不適当(果実の名であるという説明は文脈に合わない)。
問6 詩の鑑賞。問5から、事実の有無は決め難いので①や③のように断定はできない。
あとは杜牧が玄宗をどのようにとらえているかであるが、資料から読み取れることと鑑賞文の表現にやや懸隔があって紛らわしい。
②と④⑤は対照的で、どちらもあり得るが、④の荔枝の「希少性」「写実的」、⑤の「永遠の愛」などは(類推できるが)資料に直接には出てこない。
資料Ⅰ、Ⅱにあるのは、人命を軽視した「不適当な手段」による運搬と百姓の困苦である。それで正解は②なのだが、しかし、そこから「為政者の道を踏み外して楊貴妃に対する情愛に溺れたことを慨嘆している」となるのは少し飛躍している感もあるので、「紛らわしい」とした。教科書で『長恨歌』などを読んでいれば、かえって⑤に引かれるかもしれない。
以上、1月14日夜。誤認があれば都度訂正します。
(追記) 漢文については、「再読文字」も「疑問・反語などの句形」も無く、そういった知識面よりも内容理解を主眼としていることがわかる。したがって、受験生にとっては、付け焼き刃的な知識よりも、多くの漢文(あるいは現代評論でも)に読み慣れている(読書量が多い)方が有利になる。文章を読み、理解する(論理的に考える)力こそが問われていると感じた。方向性としては正しいが、最後の詰めがもう一歩というところか、というのが感想である。