映画「君たちはどう生きるか」を観た

 映画を観た。「君たちはどう生きるか」、宮崎駿の新作。

 で、感想を書こうと思う。まだご覧になっていない方は、以下ネタバレになるので読まないでください。また、人の感想なんぞに興味がないという方もお避け下さい。

 

 (最近マウスの調子が良くなくて、意志通りにクリックできない。時々誤字脱字になるのはそのせいだと思ってください。w)

 

 シニア割引きで観られるのはお得感。無職年金生活者は平日の昼に観られる。他の若い観客たちは学生さんなのかな。

 

 で、第一印象は、前半と後半でかなり違うなと言うこと。

 前半では「あやしさ」、「こわさ」がとてもよく表現されていて惹かれた。自分の狭い鑑賞体験から言ってみれば、ギレルモ・デル・トロ監督の映画「パンズ・ラビリンス」に似た雰囲気である。まあこれは個人の感性で、そうは感じないと言われればそれでいいのですが…。これは、妊娠している母(義母、母の妹)と田舎の有力者の屋敷に移り住む子供(映画では女の子)、ナナフシとパンと青鷺、そこで怪物と異世界に入ってゆくという、設定・構成上の類似だけではなく、表現される情感の類似である。

 主人公に近づき秘密の世界に引き込もうとする青鷺の不気味さ。アニメーションならではの、これは今のディズニ―にはできない表現が素晴らしい。

 後半は一気にSFじみて、この飛躍に戸惑う人も多いだろう。

 自分は、作者が四十年ほど前に雑誌「アニメージュ」に連載開始した「風の谷のナウシカ」を連想した。連載時に読んだわけではないが話にだけは聞いていた。なにしろ長い期間かかって完結したので当時全体像を知った人もなかなか少なかろうと思う。その後単行本になってから通読した。

 

                         最終巻表紙 徳間書店1995年初版

 これは超絶圧倒的な内容で、強力なエンターテインメントに支えられながら、哲学的なまでに人間の本性(善悪)を追及した(自己の内面で行われた討論)作品である。今回改めて読み直して改めて感動した。(なお映画の「ナウシカ」は原作のほんの一部を切り取ったものでしかない)

 で、「君たちは…」との類似というと、映画には作者の原点というべき諸イメージがあふれていて、それが「ナウシカ」を読むと一層はっきりと感じられたということである。あまり明確に言葉にはできないのだが、一つは主人公眞人が自傷跡を示し「自分には悪意があり、世界を預かることはできない」と言うところ。これが、「王にはならない」と言うクシャナ、新世界を生み出すために作り替えられた人類が、滅びる運命に抗い、用意されている「理想的(善人)」新人類を否定(殲滅)するナウシカに似ているように感じられたということだ。

 つまり、闇と光を内に持つ人間は人間の王にも世界の神にもならない(なるべきでない)という強い「意志」である。(じゃあどうするんだという疑問への答えは当然のことだが、無い。)

 もう一つは、作者の世界に濃密に表れる「母性」である。映画では眞人と夏子との関係にそれが表れているか。母子の関係にみられる緊密な愛情と、一方で個々の人間が抱える善悪の意識から生まれてしまう信頼と裏切り。一点に向かう愛が必然的に無数の犠牲を生むという矛盾。子を救うために母は自ら命を捨てるか。母を救うために死ぬ子は幸せだろうか。

 

 人間の直観や感性や思索の根幹は30代にはもう絶頂に至り、70代80代にはその延長で様々な事柄を整理するしかできないのかもしれない。宮崎駿は充実した青年期と老後の仕事を持つという幸せをつかんだ人なのだろう。

 

 勝手なことでした。お目汚し、まことに失礼しました。