脚本アップしました

 県大会が終了し、一段落付いたので、今年の大会向け台本『まどろみの淵から』を「高校演劇脚本」の書庫(というか脚本置き場にしているホームページの入り口になるのですが)にアップしました。
 なお、地区大会では(ルルの夢)という副題がありましたが、県大会では削除し本題だけとしました。
 
 いろいろ講評でありましたが、黒羽先生はこの脚本については20~30分話せるとのことでした。「ロボット」の語を初めて用いたSF作家カレル・チャペクの故郷を訪れたときの話とか、米大陸に無数にいた旅行鳩の絶滅の話とかを例に出して話された。博識な方でした。
 
 以下、地区大会でいただいた講評文を掲載します。県大会の講評は届き次第掲載します。
 
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 近江正人 氏 (山形県高校演劇顧問OB会副会長 日本現代詩会員)
 
 百年後の日本、アンドロイドに育てられた娘ハルナと意識を持ち始めたアンドロイドのルルとの道ならぬ恋を描いた意欲的なSF、未来社会を描く映画のワンシーンをみるような好奇心と、人間とロボットの恋のゆくえというドキドキ感をもって舞台を見た。単なるロボットとの恋であればよくあるテーマだが、ここでは古典の小野小町深草少将とのエピソードや三島由紀夫の「綾の鼓」という能楽風の古話をSFの伏線に用いて、どこまでも愛を要求し試してくる側の女心や、愛の試練に応えようとして傷ついたまま倒れてゆくかなわぬ男の悲劇がハルナとルルに重層的に象徴されていて面白かった。気になったのは、ルルと心中したハルナの部屋での事故検証という場面だが、演技の空間としては手狭で、明りも薄暗すぎた。紗幕の効果的な使い方はよいが、観客によく見えてない。前半、BGMが低くて音効が弱かったり、調査官役の滑舌が聞こえず、重要な事件と筋立ての進行がわかりにくかったので、今後の工夫のしどころ。なおルルは同性(女性)としてハルナを母のように育てたとありながら、ハルナが愛を求めたとすれば伏線で使われた道ならぬ男女の愛と違って、同性愛心中になってしまうのではと奇妙な疑問が残った。物語の主体はルル側なのかハルナ側なのか未だに判然としない。
 
 
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 樺沢 智 氏 (置賜農業高等学校 演劇部顧問)
 
 衝撃的な映像、殺伐とした迫力ある音響を活用し舞台が始まる。近未来の世界で、人類を育てる役目を担っているパートナーロボットが起こしたある事件をめぐる物語である。
 人間とロボット、また女性対女性の愛という禁断の感情にたどり着いた二人が、この世界では結ばれないことをみとめ、別の世界に旅立とうとしたということが最後、ルルの自供により明らかになる。現代では、世間的に禁じられた愛を貫くために心中をすることは少なくなってきていると思うが、近未来の劇中で形を変えた心中が実現された。
 ルルが自身の気持ちを認めたとき、ハルナに伝えてしまうことは自身がロボットである以上できないことである。一方ハルナは、自身の気持ちをルルに伝え続けているものの、ルルからの言葉ハルナを満足させてくれない。互いが苦しみながら、最後に二人で心中という選択を選んだことで、初めてお互いが気持ちの通じ合わせられたことが明らかになるという事実が、なんともいえない悲壮感とともに、気持ちが通じてよかったという若干の安堵感をもたらす。しかしながら決してハッピーエンドではない。物語として面白く、また劇評を記入する今でも考えさせられる内容だった。
 説明的に感じてしまうシーンがややあった。最序盤の調査官とユーキのシーンは、人類とロボットの関係性を明らかにするのに必要な場面ではあるが、役者はこの二人の会話を綺麗に聞かせる工夫をしてほしい。もう少し、会話しながら動いてよかったか。
 紗幕で遮られた向こう側がやや見づらく、もったいないと思った。一方で、ホログラムの照明、無音の扉など近未来を連想させる技術が表現されていた。
 旧式のロボットで「綾の鼓」を演じたところでは、意表をつかれとても面白かった。
 役者の台詞にかなりの稽古が感じられた。この舞台では、会話を「見せる」ことができなければ、登場人物たちがいかなる人物であるかを把握するのは難しい。その点をしっかりと演じきったのは役者たちの努力の賜物であろう。
 近未来というSFの世界で、探られた一つの事件の真相。緞帳が下りた後も、舞台の考察は終わりませんでした。お疲れさまでした。
 
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