関口教会に行き、ルルドの聖母像を拝見する

 文京区の関口教会にある「ルルドの泉」 2023年7月18日(火)

 

        

 堀三也、九重夫妻の写っているこの写真について、場所は関口教会の「ルルドの泉」前であろうと判断したことは前に書いたが、このたび現地を訪問し確認してきた。

 現況は、夏ということもあって植物が繁茂し、蔦が岩壁を覆っている。

 聖母像の帯が鮮やかな青色に塗ってあるが、三也の写真ではそれほど色の違いが見分けられない(若干裾の波打つ形や全体的大きさが違うようにも見えるのであるいは補修したのか?)。本物に倣ったフェンスの鉄柵はなくなっている。

 

 夫妻の隣に立つ神父はヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(1886ー1959)で間違いないようである。神父が関口教会に赴任したのは大正六年の十二月のことで、この写真が撮影されたのはその後のことと判断できる。

 

     

       関口教会主任司祭当時のヨゼフ・フロジャック神父(Wikipediaより)

 

 右側の岩壁に取り付けてある銘板(といってよいか)は感謝状のようである。下の写真は柵内に入って撮影したもの。偶々ご案内いただいた教会のH野さんが鍵を開けて入れてくださった。突然訪れたにもかかわらずご親切に、ありがとうございました。

 

  

 「ルルドの聖母に感謝と敬愛を捧げる」のような内容である。今は 7 8枚あるが、三也の写真では4枚である。この4枚の中で最も古いものは、この「ルルドの泉」が建設された明治四十四年(1911)の二月十一日のものである。

 

 「4枚」と書いたが、別の写真を見ると5枚かもしれない。燭台の陰になってわからなかったが、一番下の段左側にもう一枚古い(文字が読めないほど)ものがある。今はこれを入れて8枚である。

    

 

 

 中に漢文の一枚がある。だいぶ薄れているので読みにくいが、写真を頼りに書き取ってみた。訓読してみたが、最初の「茲」の意味と最後の名前が不確かである。「頼 松一」かもしれない?

 

              茲       茲に 

     拝 謝 既 往    拝謝す既往の恩寵

     之 恩 寵 

     俯 祈 将 来    俯祈す将来の佑助

     之 佑 助

        大正四年五月           大正四年五月

          頼、松、一        頼松 一

 

 フランス語の銘板の日付から見ても、大正五年(1916)二月以降の撮影であることは確かである。

 

 大正七年以降、三也夫妻が礼服で教会で記念撮影をするような機会とはどのようなものだろうか。まず、大正十年十一月の陸軍大学卒業(33歳)が考えられる。前々年の大正八年一月に長男明純(あきずみ、3歳)をジフテリアで亡くし、関口教会で弔って以降、熱烈なカトリック信者になったといわれる。

 あるいはフランス駐在武官として赴任する時か…。

 

 フロジャック神父は赴任直後、大正七年一月に関口教会の主任司祭となったが病床に倒れ、終油の秘跡秘蹟)を受けた(当時は臨終の者に対して行われた)。ところが、ルルドの聖母の祝日(2月11日、銘板にこの日付が見られる。紀元節というわけではない)に突然快癒したという。(社会福祉法人慈生会のホームページ「ヨゼフ・フロジャク神父の略歴」による)

 フロジャック神父は昭和34年(1959)12月12日夜、「さよなら」の一語を残して帰天した。時に73歳。堀三也の死からわずか三か月ほどのことであった。

 

 堀三也は、成城教会の聖堂建立に携わった大越菊次郎神父とも親交があったとも教えていただいた。

 

堀三也夫妻とルルドの泉の写真 - 晩鶯余録 (hatenablog.com)