畳を知らない若者

 生徒たちに聞いてみた。ベッドで寝ているか、畳に布団で寝ているか。

 答えは圧倒的にベッドだった。かなり前に同じ質問をした時は半々くらいだったと記憶する。更に聞いてみた。家に畳の部屋があるかどうか。

 答えは多数が「ない」だった。

 方丈の庵が一丈四方で、一丈は十尺で、四畳半を一回り大きくしたくらいだと言っても、感覚的に分からないのだ。自分の部屋が何畳くらいの大きさかと聞かれても答えられない。

 いやあ、これで米のご飯を週に何回食べるか聞いたらどうなっているのだろう。

 戦後の変化に乗って来た世代ではあるが、ここまで変わってしまったのかと恐怖すら感じる。昭和の生活は時代劇の世界になってしまったのだろう。家にはクーラーも扇風機も冷蔵庫も無く、団扇を使い、蚊取り線香を焚き蚊帳を吊って寝、共同の水道から水を汲み、石油コンロで沸かした湯で行水を浴び、ガラスの器に手回しのかき氷器で削られた氷水をこめかみを痛くしながら食べ、下駄を履き提灯を提げてお盆のお墓参りに行った。リンゴ箱の上で宿題をした。あんな時代はもう過去の記憶にしか無くなったのだろう。

 生活は進歩したのだろう。若い人達は生れたときから便利と快適の極みを享受している。社会は比べものにならないくらい弱者に優しくなった。戦後の77年間で、ここまで日本は変わったのだ。

 誰がどうやって変えてきたのか? 国民であり、為政者であった。明治時代に世界に負けない日本になろうと国を挙げて頑張ったように、徹底的に破壊された国を、再び世界に伍する国にしようと頑張ってきた。明治維新から敗戦までの77年間は内戦から対外軍事衝突、そして世界大戦へと戦争が続いた。戦後は一転して77年間の平和が保たれ、経済的発展だけがあった。

 今や時代は三度転換し、未知の将来が待っているようである。日本人は過去二度の大転換と同じ程のエネルギーをもってその時代に向かっていくことができるだろうか。

 

 畳を知らない若者たちは、我々老人には思いも付かない発想で見事に乗り切ってくれるだろうと信じる。