漢劇WARRIORS 「トリプティク」

黒木あるじ×漢劇WARRIORS公演

 「あるじかんげきGong2021 トリプティク

2021年11月27日(土)14:00開演 山形市中央公民館6階大ホール

新型コロナ感染対策の続く中、半券への記名、マスク着用で観劇。座席を一つ空ける必要はない。

 

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 結構な入りである。従来の漢劇公演とはまた少し客層が違っている感じだが、これはこの公演が、作家黒木あるじ氏とのコラボであるためだろう。

 「トリプティク」とあるように、3篇の短編で構成されている。「トリプティク(三連画)」というタイトルや、各話の英語タイトルから、何らかの「選択と決断」が共通するテーマとされているようである。が、関連性を意識しなくても観られた。第一話はコント様、第二話がドラマ的、第三話が時代物SFという感じである。

 

第一話 Choice

 昔(漢劇メンバー在校以前)、山形南高映演部が「塩原町長選挙」という作品を上演したことがある。過疎化しているこの町では、伝統的に調味料は地元産の塩しか用いない。この村で町長選挙をするのだが、ほかの地域と同じように納豆には醤油をかけようという者が対抗馬として立候補する。確か、現職と新人は父子である。あれ?ソース派もいたかな? それを思い出していた。

 ユーチューバーになりたい引籠り青年が、住民二人だけという限界集落に撮影にやって来る。村の住人は爺さん二人。この二人が村長を争うのだが、投票する村民がいない。そこで青年を捕まえ投票を強制する。やがて当惑していた青年も自ら立候補し、新たな訪問者を生け捕って村民にしようとする、シュールなコント風の話である。

 

第二話 Select

 О.ヘンリーの作品を思わせる。あるいは「岸部露伴は動かない」か…。

 そのレストランは、「読書のスープ」というのが唯一のメニューであり、飲む者の心に様々な心象風景、小説の一場面を感じさせることで有名になっている。ある日、ウエイターは偶然のことから、そのスープの秘密を知ってしまう。

 一冊の本からページを破り取っては寸胴の中に入れているのだ。元々はシェフが読んで感激した小説(題名失念)。それを誤ってスープ鍋に落としてしまったとき、偶然にも素晴らしい味が生まれたのだ。食する者にその小説の内容が、味として現れてくるのだった。作品にこめられた作者の思いが移りこむのだろう、それほどの傑作なのだと信じられる。この辺は「失われた黄金酒」という作品を彷彿させる(Оヘンリーの作品と違うか?)が、ある日、一人の客が来てこのスープの味を「古い紙のようだ」と難じる。シェフはこの本とその作者を擁護するが、なんと、その客こそがその小説の作者だったのだ。何も大したことではなく、売れない日々に、なんとかして食べるだけの稼ぎを得ようと書いていたにすぎないと客は言う。「俺はお前の物語ではない。」

 筋書きとしては一番面白かった。ただ、売れない作家の描写が少し納得いかない。

これも昔だが、永島慎二という漫画家の「漫画家残酷物語」シリーズで、こんな作品があった。ある漫画家がすべてを犠牲にして、自分の理想とする作品を描きあげた。ところが、どこの出版社からも採用されず、絶望した漫画家は屋上から「さあ、俺がすべてをかけて描いた漫画だ、読め、読め。」と原稿を撒き、飛び降りる。何か月か後、道端に乞食となっている、足を失った漫画家。その前を親子連れが通り過ぎる。その子は小脇に漫画の本を抱えている。それはこの男の作品だった。「ああ、俺のが本に…」

 散乱する原稿を拾い集め、その作品のすばらしさに感嘆した出版社の社長がいたのだ。作者不明のその作品は世の多くの子供たちに読まれるのだった。

 スープの話。たとえ作者が不純な動機で書いた作品でも、たくさんの人がその味に感動した。決してシェフの独りよがりではなかった。そこに文学の秘密があるのだろう。自分の作品をパン絵のごとく見下げる作者にも、芸術家の心の欠片くらいはあるだろう。

あのセリフのままでも違う演技ができたかもしれない。自分の作品から出来たスープの味が、自分の、作品に対する態度そのものの苦いものだった。しかし、作品そのものには何かが宿って、作者以外のみんなに幸福感を感じさせた。その奇跡奇蹟には何も反応せず、ただシェフの思いを残酷に否定するのは少し違うのではないかなと思った。

 

休憩

 

第三話 Decide

 江戸時代の首切り浅右衛門にSFのタイムパラドックスを重ねたお話。ターミネーター?を浅右衛門がやっつけるという話。

 尾張家だったかの大名屋敷に忍び込んで若君の命を奪ったという犯人の首をはねるのだが、この時浅右衛門は、着流しの町奉行所同心らしき人物から、明日まで小塚原刑場に首を持ってこいと命じられる…。いや、斬首は小伝馬町牢屋敷で、検分役が付いて、非人が押さえつけて、穴の前で切るのではないか。浅右衛門の屋敷で切るわけではない。浅右衛門は正式な役人ではないが、お試しという刀剣鑑定の専門家で、ついでに斬首を(同心に代わって)行っている。同心にあごで使われるような関係ではない。まして、大名家の若君を殺害したとなれば、その犯人の裁きが町奉行所の管轄なのかも疑わしい。というように時代考証の部分で疑問を感じてしまった。

 

 話は、浅右衛門の前にもう一人の犯人と自称する男が現れることで混乱が生じる。どちらの首を切ればいいのか? 実は二人は同一人物で、ここにパラドックスが起きるわけだ。さて、浅右衛門は誰の首を晒すのか。

 この話だけ漢劇らしく殺陣が入っている。

 

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