1945年以降における韓国の農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)その19

産米増殖計画 その4

水利組合 その2

 ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源1』明石書店2012、原書は1989)によると、全羅北道の「井邑郡で李承晩の組織「独促」の支部ができたのは遅くとも一九四六年三月だが、その指導部のひとりが朴明奎〔音訳〕である。彼は一九四〇年当時、井邑水利組合の組合長の座にあり総督府がつくった道評議会の議員でもあった。」(下線は筆者)とある。

 昭和4(1929)年の『朝鮮の水利組合』には「井邑水利組合」の記載は無く、高敞郡興徳面・星内面、井邑郡古阜面外七箇面を区域として「古阜水利組合」があった。蒙利面積は4千323町歩であった。昭和4(1929)年以降の資料が無いので、これが分割されて井邑水利組合になったものか、新設されたものかは分からないが、朝鮮人有力者が組合長である場合があったことが分かる。

 『水利事業をめぐる「公共性」の位相ー植民地期朝鮮・富平水利組合の事例分析ー』(松本武祝2000)からの孫引きだが、「宮嶋論文の事例分析によると、時期を追うごとに水利組合職員の高学歴化が進み、朝鮮人比率が増大している。」

 

 水利組合の組合員とは

 松本前掲論文によると「組合員(すなわち組合区域内の土地の所有者)」「小作農民(すなわち非組合員)」ということである。地主が組合員で、組合費を負担するのである。

 

 水利組合と水路契・水利契

 松本前掲論文によれば、「富平水利組合」には「25の水路契が置かれていた(中略)ひとつの水路契が担当する受益面積は平均144町歩であったことになる。また、ひとつの水路契あたりの里の数は平均1.4となる。」

 富平水利組合は、京畿道の富川郡(桂南面外三箇面)、金浦郡(高村面、陽西面)を区域に大正12(1923)年4月に、灌漑、排水及び水害予防を目的に設立された。大正14(1925)年3月に竣工。蒙利面積は4千120町歩。

 「朝鮮の在来水利組織は概して小規模であり、植民地権力が導入した大規模水利施設とそれに対応する制度を受容する基盤とはなりえなかったのである。」

 つまり旧来の水利契を包含する形で大規模な水利組合が作られたということであり、各々の水田に及ぶ末端の水路は、従来の組織(水利契)を土台にして新に組織を作り、水利工事を行ったということだろう。

 

 「水路契に関して、(a)「土取土捨」など支線水路の維持管理を担当するための組織である。(中略)(c)前者資料の陳情書の送り主が「水路契員・当地地主一同」となっていることから推察して、水路契員は小作農民(すなわち非組合員)をも含む地先の耕作農民によって構成されていた。」

 ここの水路契員の解釈については、後に記す「土地改良契」の実情からして、かならずしも小作農民とは断定できないのではないか。水路契員である地主+それ以外の地主一同という解釈で矛盾しないだろう。

 なお、松本氏は同論文中で「水路契」と「水利契」を混用し、同義で使用しているようである。「つぎに契長に関しては、「地方有志」が水利契長に就いているケースが確認できる。28年に水利契長に就任し同年に同契が25契中「成績最優秀」と評価された尹原重は(以下略)」

 「水路監視人は4月から8月すなわち田植えから収穫の時期に限って水利組合が雇傭する臨時雇員である」名簿などから「ひとつの水路契にひとりの監視人が配置されていたと考えるのが自然であろう。」「灌漑用水の排水および洪水防止が主たる業務であった」「本組合が、水監視人の成績評価を繰り返し実施していたことがわかる。」ここでも監視員という混用が見られる。

 

 『朝鮮の契』(善生永助1926朝鮮総督府を引用する。(下線は筆者。漢字は新字体になおした)

 「契の中には既に組合に名称を変更したものもあり、近来内地の産業組合および報徳社の如き制度を取り入れ、内地人官吏の地方行政事務に携はるやうになつてから、契の規約の如きも次第に内地流に変化し、体裁の整つたものが少なくないやうになつて来たが、多くの契は形式的の規約などはなく、一定の不文律が遵守されて居る。大典会通には新廛新契を組織する場合には官の允許を受くる規定があるが、李朝末葉に至つてこの制度は紊れ、契は各地方に於て自由に設立され、従つて各種の弊害もこれに伴つて発生した。そこで併合以来、総督府に於ては、地方庁をしてその監督取締に当たらしめ、或種の契に就いてはその組織を奨励し、殊に咸鏡北道の如きは明治四十四年道令を以て、各道に洞契の設立を命じ、一面府郡をしてその主旨徹底に努めしめた結果、全道に之が普及を見るに至つた。また牛契及び農事改良契の如きは、本府及び地方当局の指導保護の下に全鮮至る所に設置され、現に良好の成績を挙げて居る。」

 契が分類され、その名称が列記してあるが、「洞契」は「洞里の部落住人を以て組織し、各自部落の土木、衛生、産業の助長、生活の向上を図り地方自治を行ふ」ものである。「水利契」という名称は無いが、「氵伏契溜池契堤堰契」はそれぞれの維持管理、修繕を行うもので、これらを総じて旧来の組織、「水利契」と呼んでいるのかもしれない。

 

 旧来の契とは異質な、複数面にわたる大規模なものが「土地改良契」である。慶尚南道昌寧郡の「霊南水利北部土地改良契」と「霊南水利南部土地改良契」とが掲載されており、いずれも大正14(1926)年に設立された。

 「土地改良契」は、下の表でわかるように「水利組合」の事業に付随したもので、水利組合と同時に計画され、各里の水田にその利益を及ばせるためのものであった。土地改良契の構成員はその区域の土地所有者すなわち地主である。事業費は契員が分担する他、有志の寄付金、国庫の補助金による。なお水利組合費負担と重複するのかどうか、その関係は今わからない。地主の負担が過大になれば、当然小作料に転嫁せざるを得なかっただろうが、改良工事の結果、反収が大幅に増加すれば小作人の収入も増えることは確かである。

 (追記)善生永助『朝鮮の小作慣習』(1929)によると、小作地の負担の内、地税及び諸公課は「普通の場合に於ては、その納期に応じ一般土地所有者たる地主に於て当然これを負担すべき義務があるが、実際に於ては、地税及び諸公課は京畿道及び西北鮮地方の一部を除く外は、概ね小作人に転嫁され、又は地主小作物等に負担し、地主は単に形式上自己の名義を以て納入するに過ぎざる有様である。尤も地税を小作人が負担するといふことは新羅、高麗時代よりの公田制度の遺風であるが、李朝時代以来、今日の如く、土地収益の過半を地主に分配するやうな制度の下に於ては、地税及び諸公課を小作人に負担させるは決して公正な方法と称し難く、小作料の相当に高率なる上に地税及び諸公課を担税力乏しき小作人に転嫁させる結果、小作人の負担過重は痛ましきものあり、これが怠納も自然多くなる訳である。」

二、用水料及び水利組合費  水利組合地域内に於ける組合費は法律上、組合員たる地主の負担であるが、実際に於ては小作人に負担させる場合が多いやうである。旧来の用水料即ち俗称水税は定租の場合には小作人、打租、執租の場合は地主小作人の共同負担が普通であるが、中には水利組合費及び用水料を通じ全部小作人に負担させる地主もある。また水利組合費を全部地主に於て負担するもの及び地主小作人分担するものにありては、概して小作料が高率になって居る場合が多い。南鮮地方に於ては、農会費の如きものまでも小作人の負担として居るものが多いやうである。」とある。

 

 この事業の中で、旧来の田畑、水路や道などは潰れ地となり、新に区画整理された。なお大正14(1925)年7月は全鮮に大水害があったため、事業開始が遅れたとある。

 先に引用した京畿道の富平水利組合も、竣工前「1925年には、漢江の氾濫によって堤防が流出し、組合全域が浸水した。」

 

    霊南水利組合  霊南水利北部土地改良契   霊南水利南部土地改良契

設立  1925.2.21      1925.4.8          1925.4.8

区域  霊山面外3面  丈麻面  幽里 大鵬里 山旨里   都泉面 松津里 

                 東亭里        霊山面 月嶺里

                                            南谷面  成士里         

               霊山面  鳳岩里 月嶺里     

            桂城面  鳳山里

面積  1,032町歩     424町歩           244町歩 

経費  1,498,400円   120,000円          67,874.50円

            (反当り28.26円)      (反当り27.82円)          

契員          130名(設立当初144名)    ー

            (1人当り平均3町歩余)

            土地所有者ヲ以テ組織ス    同左

            (朝鮮人地主を含む)

事務所         慶尚南道昌寧郡南谷面南旨里  同左

目的          本契ハ霊南水利組合ノ事業計画ニ準拠シ土地ヲ改良シ

            開畓ヲ遅滞ナク実施シ農家ノ福利ヲ増進スルヲ目的トス

            (両契とも同様の規約である)

 

 慶尚南道の「霊南水利組合」は、昌寧郡霊山面外3箇面の区域に、大正14(1925)年2月に設置され、事業は翌大正15年11月に竣工した。蒙利面積は1千32町歩、事業費総額149万8千400円(反当り平均145円20銭)、組合費総額14万627円(反当り平均13円63銭)とある。