1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)番外 4

 『旧植民地・朝鮮における日本人大地主階級の変貌過程』(浅田喬二1965)を読んでいてギョッとした所がある。

 

 引用開始

(二)「日韓併合」後における日本人の地主化過程

 2 日本人地主化の社会経済的背景

 この「土地調査事業」の内容は、(ィ)土地所有権の調査、()土地価格の調査、()地形地貌の調査の三つであるが、このうち、主要なそして緊急な調査は申告主義を基調とする土地所有権の調査であった。土地所有権の確定調査は従来収租権の保有者であった朝鮮の貴族・官僚の封建的な占有地を私有地として法的に確認し、これらの階級を日本帝国主義の支柱としたのであり、さらに宮庄土・駅屯土・未墾地・干潟地・旧公田の大部分八百八〇万町歩を「国有地」に編入した

 引用終了

 

 「八百八〇万町歩」とは!  朴慶植の「公田一〇〇万町歩」に驚くどころではない。

 すでに「1945年8月15日以降の韓国における農地改革(朝鮮半島における土地制度の変遷)その7 - 晩鶯余録」で書いたように、朝鮮の国土面積は2,225万5,160町歩、所有者確定の総耕地面積は487万町歩、その内耕作面積は450万町歩であり、国有地は27万町歩だったのだから「880万町歩」(国土面積の39%)などあり得ない。

 根拠となる引用元を見ると『朝鮮民族解放闘争史』(朝鮮歴史編纂委員会編、昭和27年)とあるが、今のところ読むことができないので、どんな一次資料に拠ったか不明である。転記の誤りではないようで、相当に実証的な論文なのに、このように検証しないままの不注意な引用があったのは残念である。

 後日追記 2024年2月8日

 国立国会図書館デジタルコレクションで読めた。『朝鮮民族解放闘争史』第四章第一節「日帝植民地統治の第一期」(金承化)である。引用してみる。

 「日帝はこの土地掠奪過程において、宮庄土・駅屯土・未開墾地・干潟地・旧公田の大部分すなわち八、〇八〇一、五一三町歩をいわゆる「国有地」にし、その外軍用地・鉄道用地・または住所不明地・其他各種の名目をつけ夥しい土地を直接掠奪した。」

 根拠となる資料は示されていなかった。