雑感 2021年4月9日 桜満開 教員数不足調査

 桜満開。観測史上最も早い開花(5日だったか)だが、今日の寒の戻りで散るのは遅いだろう。馬見ヶ崎川(馬畔という雅称が有る)桜ラインのライトアップも、寒くて人出も少ないようだ。霞城公園には多くの人が堀沿いの石垣を巡って(一方通行)桜を満喫している。昨年は公開しなかったと思う。今年も城内での商店街の出店などは無い。

 

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           2枚とも4月7日午前撮影の霞城公園 

 

 文部科学省が義務教育の教員不足について調査するという。

 現行40人学級から35人学級への転換を進めるためだと言うが、現状、全国的に見れば平均して35人を下回っている。令和2年度の統計では、公立小学校で(特別支援学級を除いて)36人を上回る学級数は全体の8%。40人を上回る学級数は全体の0.04%に過ぎない。ただ公立中学校では36人~40人の学級数は全体の26.7%有るようだ。

 現在、小学校1年生(7歳)の人口をざっと100万人として、70歳の人口は210万人を超えている。圧倒的少子高齢化であるから、将来、児童生徒数は減少してゆく。生徒数の減少は1学級当りの児童生徒数の減少になる。様々な場合を想定して、自治体にもよるが、20人程度の学級も許容されているのだから、中学校においても、学級数=教員定数を維持しながら35人以下学級を達成することはある程度可能だろう。

 では教員不足は何処でどうして起きているのか。高校をみると、急激な中学生の減少に伴い統廃合を進めているが、その外に各校で学級数を減らしている。私立高校の経営の問題もあるので公立高校の定員を(40人ずつ)減らしているのだ。学級数が減ると教員定数も減る。すると以前のように校務分掌を割り当てることができなくなる。教務課に図書課を統合し、生徒課と保健課を統合するなどの手段で課長、専任を減らす対応をしている。授業以外の学年業務も、担任の数が減るので各自の分担が多くなる。これまでの仕事をより少ない人数でこなすため、忙しくなるのは当然だ。学校行事の精選によって対応できる部分もあるだろうが、学校生活の味わいや学校の個性は薄れてゆく。

 また、公務員は一旦採用してしまえば、後40年は雇用し続けなければならず、中途で止めさせることができない。雇用保険も無い。だから将来の需要減を見越して新規採用者数を絞っているのだろう。無駄な公務員を減らせというのが世論だからだ。それで、当面は正規教員の不足を臨時採用、時間講師などで対応している。将来は解消するだろうから。だが、病気による休暇、出産育児による休暇が増えると穴埋めが大変なことになる。講師の募集に向けて待機している退職者もいるが、免許更新制度によってこの予備軍も減少するだろう。人に困れば教員免許を持つ大学院生などに頼む場合も出てくる。

 この免許更新の負担感(時間的、金銭的負担もある)もかなりのものがあるようだ。夏休みに自分で大学に申し込まなければならない(地元で受けられない場合は他県に行ったりする)。そのわりに内容が無い。ちなみに教員の夏休み(夏季特休)は、6日間だったか、有る。生徒のように一月も休めるわけではない(大昔は「自宅研修」という名目で休むことができたが、世間様の批判が強くなって無くなった)。

 今年度の大学入試センター共通テストに関して、国語の記述式解答化、英語での民間検定試験成績の利用など革新的な試みはいずれも頓挫した。この学年は本当に可哀想なほど振り回されたのである。その経緯や、コロナ禍で強く推奨される授業のオンライン化が進まない状況も、文部科学省の政策があまりに現場感覚から遊離している、あるいは根本的でない上っ面の思いつき的な改革に過ぎないという批判を受けている。この教員不足調査についても、現場は「何を今更」という感覚で聞いたのだろう。

 部活動顧問の仕事に対する批判も多い。本来の業務でなく課外活動なのに重い責任がある。運動部で全く経験の無い種目に当たると戸惑ってしまう。その種目の(顧問、競技者の)世界というのがあって素人はなかなか入り込めないのだ。そして、大会はともかく、練習試合、遠征、合宿などを計画しなければならず、その引率の責任がある。専門のコーチがいればおまかせで、ただついて行く顧問になれば気安いが、休日が無くなるのは同じだ。

 もろもろの問題から、教員は「ブラック」な仕事と見なされている。これはイメージだけのことではないので、今から給与待遇を良くしたとしても、教育に携わろうとする人材は増えないのではないだろうか。過去の「学校」「教師」の姿はもはや取り戻せないのだろうと思う。

 

 今でも、これだけインターネット環境が整ってくると、本当に学びたいことが有る子供は、それを学校以外でも自由に学べる環境にあると思うので、「学校」は「最低限のこと」の徹底に注力し、多くの部分を個人に任せるか社会教育に譲ってゆくしか無いだろうと思う。できる子供には「飛び級」というルートを設けてあげるのも必要だと思う。

 高校2年からの大学入試共通テスト受験―入学、中学2年からの高校入試受検―入学を許可するだけでもかなり違ってくるのではないか。これなら大きな学級数増減無しで、優秀な人材が勉強に集中して育っていくことができそうだ。

 

 「大検」は高校在学者はダメとか18歳以上とかだったが、今は「高卒認定試験」になって、16歳以上可能で、中卒という条件も無いようだ。当今の社会状況を踏まえたものだろう。しかし受け入れる側の大学が、千葉大などごく少数に限られているので、地元の中高から地元の大学にというわけにはいかない。全大学共通にして、さらに「中卒認定試験」を設けて、全高校に合格者の受け入れを認めさせたらいいのではないか。

 あと部活動は教員の仕事から切り離して専門家に任せるのがあるべき方向だろう。