朗読劇を二公演観た。一つは白石加代子の『百物語(第一夜)』(川西町フレンドリープラザ)。もう一つは山形演劇鑑賞会最終公演、仲代達矢と無名塾『人間失格』(山形市中央公民館)である。
前者は以前に見逃していたので楽しみにして行った。老練の演技と練り上げられた演出で素晴らしかった。耳の上にピンマイクがあったと思うが声は良く出ていた。
朗読劇に適した小説が選んであって、無理なく動けていたと思う。大きく動くのは第二話の時で、ボックスがいくつか置いてあり、その間の移動で人物の区別などを明確にしている。第二話の筒井康隆の『如菩薩団』は8人の平凡な主婦が実は強盗団で、上流階級の屋敷に上がり込み、家人を殺害するという恐ろしい話である。主婦等は現金の他高価な食品や高級下着ばかりを盗んで、宝石など処分に困る物は盗らない。目撃者は躊躇無く殺害するが、その時の会話がいたって丁寧で礼儀正しく、写実的な殺害場面の描写とのギャップが狂気じみた可笑しさを催させる。
筒井康隆のブラック・ユーモア作品は『蟹紅癬』とか、題名は失念したが患者を取り違えて手術してしまうが、医者が止めずに続行して生体解剖のようになってしまい、患者は麻酔が効いているが首から上は意識があって、会話できるという恐ろしい状況を延々と描写する作品などが記憶にある。
第三話の半村良『箪笥』は高座を作り、古典話芸のように演じる。途中から、書見台に置いた台本を下げ、暗記で語る。全編方言で良い雰囲気がある。
台本は、捲り方からみると横書きだったと思う。
客席が完全な闇にならないのが少し残念だった。
後者は、山形演劇鑑賞会最後の例会だった。しかし、それらしい挨拶もセレモニーも無く、淡々と終わってしまった。378回の例会の内、何回観ただろうか。1980年頃からだから、もう少なくとも40年は観続けていたことになる。
仲代達矢が全編朗読するのかと思いきや、仲代は語り手として幕のつなぎに出てくるだけで、本編?は若手が演じていた。少し残念だった。
装置がなにやら大がかりであったが、朗読劇には不適な感じがした。屋根に上るという場面で高い装置(これが単に高いだけでなく傾いて組んである)に上がるという動きは必ずしも効果的ではなかったと思う。仲代の座る机と椅子の載った装置(袖から出し入れする)も不要ではないかと思った。
役者は皆和服であったが、必ずしも役柄にあった衣装を着なくても良いと思う。各人二役以上するのだからなおさらである。
演出の問題になるが、この作品の理解が今一つ浅かったように感じる。浅いというかズレているというか。過剰な自意識と社会不適応、人間の個人としての自立(社会との関係を築く)とかの問題を今日的問題意識から解釈し直しているというようにも見えないので、何とも言い様が無い。自分の理解力不足だろうか。
高校演劇の舞台に比較している自分がいることに気づき、プロの劇団の芝居を堪能する気分にはなれていなかったのだろうと思った。
台本は捲り方からみて縦書きだった。
山形演劇鑑賞会機関誌「ぶたい」最終号?