今日は、若い頃聞いた昭和の歌をyou tubeで聞いた。時々聞きたくなる歌がある。
たとえば
ホールで演奏するときは全然速くないのに、野外の大観衆を前に、全員を巻き込んで速いテンポで歌う、そのパフォーマンス、一体感は凄いとしか言いようがない。一晩中歌って、もう声もかすれているのに、10分以上歌い続けるので、死ぬんじゃないかと思う。女声コーラスも大変だったろう。
拓郎は「結婚しようよ」とか「旅の宿」とか「落陽」とか、どれもが良い。
○ 井上陽水 「心もよう」「傘がない」「氷の世界」「人生が二度あれば」等々
もう、このたたきつけるような歌い方がね、心を打つ。
自分はもう「人生~」の父の年齢を超えてしまったが、息子がこんなふうに自分を見ているかは分らない。それより、当時の自分は父母をどう見ていたのだろうか。
長いこと沢山の歌を歌っていて名曲も多いけれど、やはり自分の青春時代と重なっている歌が心に残るのは当然だろう。
今は太って額も広くなっているが、痩身長髪でバイオリンを弾く姿はなんとなく自分に似ているように感じた(バイオリンは弾けないが)。「案山子」は教員になってから、同僚と二人で生徒の前でギターの弾き語りをしたことがある(予餞会だったかな)。
大編成のバンドを後ろに歌うのではない、キーボードの弾き語りが心にしみる。
曲調と歌詞が絶妙で、震えるような感覚を味わいたくて時々聞く。いろんな人がカバーしているが、やはりこの曲は本人でなければと思う。荒井由実の曲はどれも良い。
最近の曲はあまり聞かなくなったが、ミュージックビデオに視覚的に占領されないで聞きたいものだ。
○ 中島みゆき 「私時々思うの」
この曲は大学生の頃、下宿の部屋でラジオのポプコン北海道地区予選?で歌ったのを聞いて、びっくりして思わず歌詞を書き取った思い出がある。すぐ後に仙台のヤマハに来て歌ったのを聞きに行った。あまり客はいなかったような気がする。何の曲を歌ったか忘れたが、なんか、酒が好きで昨日も呑んだとか言っていたような。
人間って、いつの間にか人生が終わる。その時にも「これから」と思う。だから「若いうちに」って言っても、もう私たちに若さは無い。
というような歌詞は同世代の歌うことばとしては驚くべきものだった。なんか日本の歌が変わっていく感じがした。
メジャーになってからの「時代」も好きだ。これも、大編成のバンドを後ろに歌うのと違ってギターの弾き語りがしみじみ良い。
○ 五輪真弓 「少女」「恋人よ」
新しい女性シンガーソングライターが次々にあらわれた。女性が女性の内面を歌っている。少女が無垢の世界を喪失し、大人へと踏み出す不安感。
これはレコード(CDじゃないよ)を買ったんじゃなかったかな。山形県民会館のコンサートを聞いた。当時、姓の「五輪」を読める人が少なくて、「ごりん」さんとか「ごわ」さんとか呼ばれるなんて言っていた。歌っている最中にマイクが突然切れるハプニングがあった。
当時、他にも多くのシンガーソングライターがいたが、今聞きたいのはこんなところだろうか。その人の人間性を、人間の心の底を、人生の一瞬と普遍性を感じさせるような歌を、創り歌える人はそう多くはない。
今の若い人の歌には、上の曲たちにあるような、歌詞に込められるべき内面的な力が薄いように感じる。それは「強い言葉」であれとか「饒舌であれ」とかいうのではなく、「深く届く意味合い、詩的表現」を持って欲しいというようなことだ。(それにみんな早口で、あれじゃ歌詞に意味がこもらないんじゃないかなと思う。深く感じ、深く考えることがないのかな?)
前回触れたマンガ「死んでしまった手首」の作者、岡田史子もそうだが、やはり若くして輝く天才はどの世界にも確かにいるのだ。しかしその才能を長く保ち続ける人はまた稀である。だが、凡人が晩成して大業を成す場合もあるから、若い内に自分には才能が無いとあきらめるものでもない。
心に残っているが、あまりメジャーでない曲で、今は聞けないような曲もある。
○ 森山良子「並木よ 坂よ 古い友よ」(颱風とざくろ)
長いこと記憶に残って口ずさんでいる歌だった。NHKのドラマの歌と思っていたがよく分らないままだった。you tubeで見つけて、自分の記憶とは違うデレビドラマの歌だったことに気付いた。歌詞も一部うろ覚えだった(並木よ風よ、と歌っていた)。
「並木よ、坂よ、古い友よ。
君は、今、大人になり、優しい笑顔で僕を誘う。
並木よ、坂よ、古い日々よ。
君は、今、大人になり、豊かな言葉で僕を誘う。
だが僕は頑なに幼さを胸に抱き、人に隠し育てたい、優しい笑顔になりたくない。
ああ空しく豊かな大人になりたくない。大人になりたくない。」
いいねえ、若いねえ。名曲だと思うが世の中ではあまり聞かれない歌である。
これはyou tubeにも無い。NHKの阿川弘之原作「アヒルの学校」というドラマのエンディング曲だと思うのだが。もう歌詞も曖昧なのだ。
「…………真昼のアヒル。……
出会って、出会って、目と目を合わせ、
ボンジュール、ボンジュール、私はアヒル。
翼はあるけど飛べないアヒル。
それでもいつかはあの空高く、
走って、走って、かけて行くのよ。
光って、光って、風より速く。」
というようなものだった。「醜いアヒルの子」じゃないけど、自分の知られざる真価を表したい切なさを感じる。戦後、飛行機の製造を禁じられた日本の姿を飛べないアヒルに重ねているのだった。