5月20日の「解体されゆく アントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」

 少し前の話になるが、5月に庄内町響ホールで上演された標記の作品の感想である。

 上演したのは映画24区。映画「おしん」の監督が演出したもの。東京で話題になったので故郷でもぜひ上演の機会をということで実現したようだ。

 いろいろと評判をネットで見ていて、広島高総文祭にもこの演目で出場する部があるというので、観てみようと思ったのだ。女性だけの芝居ということも、うちが女子校だけに注目すべき点ではあった。

 山形市から出かけて19時からの上演を観ると、どうしても1泊になる。余目駅前の旅館に泊まったが、上演スタッフ・キャストと同宿だった。もちろん自分とは宿にいる時間帯がずれるので、顔を合わせることはなかった(夜、打ち上げの声だけ聞こえたが)。

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 全国大会も終わったので感想を書きたいが、当時某高校演劇部の顧問の方に送ったメールがあるので、引用してみる。

―以下引用―

20日夜、「解体され行くアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」を観ました。
キャパ500に半分くらいは入っていたでしょうか。地元の人が多かったようです。
2時間は少し長かったかな。

登場人物名が、「奔放」とか「癇癪」とか「平穏」だったりして、脚本は基本的に抽象的な作りなのだと思いますが、(実際舞台装置も黒幕に白い枠だけの椅子様のものという抽象的なものでした)実在した体育館(東京女子大だそうです)の保存運動や、戦前にあった実際の争議と女学生の関わりなど、
具体的な事柄も出てくるので少し統一感に欠けた気がします。

なので仕草も、無対象の演技が(鞄を取ってかつぐとか)浮いている感じがしました。

衣装は非現実的な感じで、皆少しずつ違っていました。みんな裸足でした。

照明をT・Sさんがやっていたようですが、リハが不十分だったのか、うまく当たっていない感じがしました。両袖が黒いパネルでふさがれているので、横からの明かりはありません。出入りは前と奥からしかできません。
照明は基本的に斜めを多用して場所を区切ります。舞台を区切るため前明かりは弱くするので、役者さんの顔が暗くなることがしばしばでした。
もったいない。
皆さん魅力的な方でしたので。

総じて演出者が(映画監督ではあるのですが)舞台慣れしていない感じでした。
東京の高円寺明石スタジオでやって好評だったのとはずいぶん違ったでしょう。
キャパが5倍になった以上に舞台の広さ、客席との距離感・角度が違うでしょう。
5㍍が10㍍になったらねえ。

「高校演劇」っぽい舞台使いだったという印象です。

広島の全国大会にこの作品で出場する高校があるのですが、おそらくずいぶん違った演出になっているのだと思います。尺も半分ですからね。写真で見ると衣装が9人同一のようです。

自分も、女性9人の芝居ということで、もしかして自分の所でやれないかなという下心で観に行ったわけですが。ちょっと難物ですね。

―引用終了―

 たぶん前日に到着しているので、会館でのリハーサルが時間不足だったのではないかと思った。
役者がある場所から他の場所に動くと照明の当たりがはずれることがしばしばあったように思う。これは照明の問題と言うより、舞台使いの問題だろうと思う。そう言う意味で「高校演劇」っぽいと感じたのだろう。

 脚本も買ってきて読んだが、自分にはどう演出したらよいのかイメージが浮かんでこない。自分とは違う感性でできている本なのだと思う。

 10代の高校生がこれらの女子大生を演じたらどんなふうになるのだろうか。
一人の女性の中にある多様な面を分けて登場させているようにも思えたが、互いにドラマチックな関係を作るのでそうでもないのだと考え直し、過去の出来事が再現されるので、建築物を主として、そこに関わった女性達の歴史を描こうとしているのかとも思った。やがて卒業してそれぞれが進んだ道が語られると、(女性の)人生というもの、その中でも学生(青春)時代の甘く、辛く、楽しく、切なく、代え難い日々を描いているのかと思った。永遠が語り手(狂言回し)になっているからそうなのかもしれない。これらすべてがまぜこぜで出来ているような感じ。
 1時間にするにはどこを取り上げるのだろうか。
 インターナショナルはうたわないんだろうなぁ。