創作の喜び

 昨日、明新館さんの定演を観に行った。同日夕方には中央さんの定演もあったのだが行かなかった。今日は置農さん、芝居一座風さんの公演もあったのだが行かなかった。
 たぶん、おなかいっぱい状態なのだろう。自分の作品を2日連続で上演してもらって、しかも観客には感動してもらって、満足感、幸福感に浸っているのだろう。
 正直、今、他の誰かの上演を観ても、ほとんど心動かないだろう。
 観る人の心をあれだけ引き込むことが出来た、そのことは、大会で最優秀になるのとは別種の経験であって、創作する者にとっては前者の方が大きな喜びになると言っていい。

 ただ、学校の部活動を指導する顧問としては、大会での成績という「結果・成績」を気にしないわけにもいかない。生徒部員たちも当然、全国大会を目指しているだろう。どんな野球部でも「目指せ甲子園!」と掲げるようなものだ。そうして、大会を「勝ち抜く」という目標達成のためにはどうしたらいいのかを考え出す。
 しかし生徒には、せいぜい2年間の活動期間しかない。大会というものを2期(県大会まで行けば4回)しか経験しない。大会(審査)というものがどういうものか分かる前に活動期間は過ぎてしまう。
 一方顧問は、長くやればやるほど経験を積み、芝居というものを理解し、高校演劇の大会システムの持つ傾向、特性を理解していく。

 今年度の大会作品をどうするか。今創作に挑戦している生徒部員がいる。もし自分が書き始めたら、その生徒の作品と競い合って負ける(選ばれない)わけにはいかない。創作者としての自負があるからこそ、その選択を迫る状況にはしたくない。
 部員が一丸となって、生徒創作で行く、どんなに苦しんでもこれで作りあげるという決意で行くなら、結果はどうあれ、部活動としてはそれでいいのだろう。全国の多くの演劇部は創作する顧問を持たないから、皆このようにして大会作品を作っているのだろう。うちの部員はそういう経験が出来なかった分、不幸なのかも知れない。