朗読劇、いいじゃないか

 アトリエ公演初の朗読劇。予想以上によくできた。これはなにより3人の出演者と音響担当の力である。朗読劇、いいじゃないか。台詞―言葉の力を信じる自分としては、してやったりだ。
 部員全員(出演者のぞいて34人)と教員4人。観客はそれだけだったが、みんな心が激しく動かされていた(1・2年生部員も初めて観たのだ)。部員はみんな泣いていたよ。芝居が終わってもずっと涙ぐんでいた。胸のドキドキがおさまらないのだ。あんなに泣かれるとは自分も出演者も思っていなかった。
 椅子が3脚並んでいるだけだが、昨日の地震の芝居とはまた全然違うものが現出していた。
 脚本をここにアップしたいが、河北新報気仙沼震災体験「証言」特集記事に拠るところがあるので、公開するのはいささかためらわれる。新聞記事にも著作権てあるんでしょうかね。
 まあ、脚本を読んでも、それがどのように演出されたかは分からないので、感動は伝わらないかもしれないのだが。そう言う意味で「脚本の読める人」も少ないと思っているのだ。
 

 2年生から大会作品も先生書いてくださいと言われる。まあ脚本を書いている部員もいるので、その出来にも関わるだろうが、とりあえず今何も頭にない。乾いた雑巾の喩えはもう使い古したが、ほんとに何もない。
 言いたいことは特になくても書ける、という人もいるだろうが、自分はどうもそういう書き方が出来ない。自分が心動かされることでないと書く気になれないのだ。

 県内の顧問で創作できる人は限られる。自分みたいに毎年書いている人は稀だ。毎年書いたからといって「いい」作品になるわけではなく、生徒創作の方が評価が高かったりする。毎年生徒創作に「負ける」経験は、何と言ったらいいか、決して喜ばしいとは思われない。自分が感心するような生徒創作なら納得するのだろうが。もう、書く意欲を駆り立てる原動力がなくなってきているのかもしれない。かといって、今回のようにふと何かが下りてくると書かずにはいられないのも事実だ。
 とりあえず、これから1ヶ月は校内合唱コンクールと期末テスト前部活休止期間になるので、のんびりしながら他校の定演を観ることにする。