源氏物語 蛍の帖の几帳に関わる一解釈

 今、源氏物語で蛍の帖をやっているのだが、この部分はあまり授業でやったことがない。ざっと流れは分かるのだが、教科書(第○学○社)の下段注とか指導書を読むと混乱してしまった。少し考えてみたので以下にメモしておく。
 
 
 「東おもて」が東側の廂の間だというのがネックである。また、兵部卿の宮のいる妻戸の間が西南の角にあたる、というのも分からない。玉鬘と宮の位置関係が、建物の対角線上の端と端になるが、いくらなんでも女房が30メートルほどもいざって言葉を取り次ぐのは大変ではないか。(岩波の「大系」の注が既にそうなっているが)
 
 玉鬘は西の対にいるのだから、兵部卿の宮は東側から入って来られたのではないか。ならば東南の角に入ったことになる。玉上琢彌の「評釈」でもそうなっている。
 そこに茵が用意してあった。そこに座ると玉鬘とは几帳ばかりを隔てている、というのが、廂の間で向かい合っているという解釈なのか? このへんの位置関係とか人の動きについては、橋本治「窯変源氏物語」が一番分かりやすかった。
 
 廂と母屋の間には御簾(あるいは壁代や襖)があるのだろうが、宮の前(の柱の間)だけ御簾が巻き上げられ、四尺高の几帳がある、というのだろう。御簾は几帳のわずか上までしか巻き上げない。
 玉鬘が「東おもてに引っ込んで寝ていらっしゃる」というのが、「廂の間で寝ている」に訳されるとよく分からない。母屋の内の東の間で、帳台の中で寝ているというのが正しいのだろう。源氏が宰相の君について入っていくという書き方からも、帳台があるはずだ。
 源氏を避けて帳台から滑り出た玉鬘は几帳のかげに横になる。源氏はこの几帳の帷子をめくり上げるわけだが、これは宮の目の前にある(廂と母屋との境にある)几帳とは別であろう。
 
 源氏は几帳の帷子を「一重(ひとへ)」めくって几帳の手(横木)に掛ける。この几帳は部屋の中にあるので三尺高、帷子は四枚だろう。直感では暖簾をめくる感じだが、実際は違う。まず、帷子は縫い合わせてあるので一枚だけ上げることはできない。両脇の帷子も一緒に上がってしまうはずだ。
 また、帷子は表・裏二枚の布がある。その間に横木が入り、その下を飾り紐で縫い合わせてある。この横木を几帳の手に紐で下げる。だから裏だけをめくり上げるのは几帳の足(縦の二本の棒)が邪魔でできないだろう。「窯変~」で「裏だけ」上げたとあるのは、だから不審だ。(岩波「新大系」も「裏だけ」の説を挙げている)
 こう考えると、「一重」とは、「表だけ」を上げたという意味になる。当然、裏の布地は残る。が、夏なので帷子は薄い絹の生地だから、蛍の光でも透けて見えるということなのだろう。
 その動作をする源氏の姿が宮に見えてもいけないから、この几帳は宮の目の前の物とは別でなければならない。したがって、「一間」の距離は、宮の前の几帳から母屋の中の玉鬘のいる几帳までの距離になる。
 
 そのとき、薄暗い母屋の中で蛍が何匹も飛び出して光る。「掲焉」という語には、明るいだけではなく、蛍が高く舞い上がる感じがある。この蛍は源氏が夕方から(たぶん童にでも捕らせて)用意して隠しておいたというのだが、その隠し場所も不明だ。他の例からして、袖の中に(袋か何かに包んで)入れていたように思われる。几帳に仕込んでおいたのでは気づかれたり出すのに手間がかかるのではないか。
 
       下の図はwikipedia「几帳」より  手(横木)の下に別の横木が吊ってある。
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       これで裏だけをめくり上げることは可能か? 
 
 薄暗い部屋の中で突然、光が現れたので、宮は目の前の四尺の几帳の風穴(ほころび)から母屋の中をのぞく。几帳の帷子は中程が縫われておらず、その隙間から風が抜けて、帷子が吹き上げられたり几帳が倒れたりするのを防いでいるらしく、女房などはその隙間からのぞき見したようだ。
 宮は一瞬の間、薄い絹を通して、玉鬘の横顔をご覧になってしまう。紗を掛けた写真のような感じか 
 なお、「大系」の注では、玉鬘は「宰相の君が手燭をさし出したのか」と思った、としている。
 
 下の図は、玉上琢彌「源氏物語評釈」第五巻(角川書店)より  (絵入源氏物語
 この絵では、宮が廂にいて、母屋との境に置かれた四尺の几帳を隔てて玉鬘と対している。廂と簀の子は格子で仕切られ、廂と母屋は襖で仕切られているようだ。
 几帳の帷子は表だけが掛けられている。そこまでは良いのだが、これでは帷子を上げる源氏が兵部卿の宮に見えてしまうので、几帳はもう一つあると考えられる。 
 
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 下の図は池田亀鑑「平安時代の文学と生活」(至文堂)より
 持ち運び用の几帳を持っている絵だが、帷子を表裏一緒にまくって掛けている。イメージ 1