東京大空襲について動画投稿サイトを見ていると、当時のB29乗組員たちへの60年後のインタビューがあった。彼らは一様に、あの戦略爆撃は正しかったという。一晩で非武装の一般人10万人を焼き殺すという大虐殺をなぜ正しい行為だと言えるのか。
 
 戦争が継続し、米軍が日本本土上陸作戦を行えば、100万人の日本人が死ぬだろうという予想があったという。日本側も本土決戦、一億玉砕と言っていたのだから本当にそうなったかも知れない。
 早く戦争を終わらせるためには、空襲で戦意を喪失させる必要があった。そしてそうなった。日本人は感謝すべきなのだという理屈である。
 予想される100万人の犠牲者を救うために今生きている50万人の命を奪ったのだから感謝されるべきだという理屈。これを理解できるのはどんな人だろう。
 別の場面では、日本人を人間だとは思わなかった。下に人がいるとは考えなかったとも言っている。ならば、そもそも敵の犠牲者数など考慮の外ではなかったのか。後付けの理屈にしか聞こえない。
 100万人も50万人も米軍が殺す人数であることに変わりはない。
 
 もちろん、人として彼らが自分の行為を誇っているわけではなく、苦しい思いを抱えているのも確かである。自分の息子が日本人と結婚し、孫に会うために訪れた東京の空に彼はB29を見る。爆弾が投下され自分に向かって落ちてくる。彼はそこにいたたまれなかった。
 
 しかし、もしあの行為が間違いだったと認めたならば戦友たちの死が無駄死にになってしまう。それはできないというのだ。
 ひるがえってみれば、日本兵はアジア太平洋の各地で死闘を繰り広げた。そしてその行為は侵略であり非人道的な行為であったとされている。つまり彼らの死は不名誉であり無駄死にであると自他共にみなされているのだ。B29のパイロットは凱旋して市民たちの熱烈な歓迎、賞賛を受けたが、日本兵たちは戦友の遺骨とともに復員し、誰からも賞賛されないまま、黙々と戦後復興に力を尽くした。
 
 ドレスデン爆撃は問題にされても、東京大空襲を知るアメリカ人は少ないらしい。極東国際軍事裁判ではアメリカ人弁護士が戦略爆撃、原爆の非人道性を指摘したが却下された。
 
 
 
 ペリリュー島の戦いを記録したフィルムがテレビで放映された。日本軍が万歳突撃で玉砕するのを止め、持久戦に転換した最初の戦場だという。米軍の火炎放射戦車が投入された初の戦場でもある。
 逃げ場がない島で残酷な殺し合いが70日間続く。その中で双方が敵の死体を毀損する、既に戦意を喪失した敵兵を射殺するなどの残虐行為を繰り返す。耐えきれずに発狂する者も出るが、前線ではその味方をも殺す。大勢の味方の命を救うためには大声を出す味方1人を殺すことが正しいのだ。
 いや何が正義でどちらが非人道的かなど、もう区別はないのだ。
 
 洞窟陣地に立てこもる日本軍の抵抗はベトナム戦争でベトコンが行った抵抗に近いかも知れない。
 ペリリュー島硫黄島や沖縄では火炎放射器、ナパーム弾、ガス弾、ガソリンの注入などで洞窟を潰していった。ベトナムでは枯葉剤でジャングルそのものを消した。非対称の戦いである。
 ベトナムの抵抗は全世界のニュースとなり、反戦運動が広がった。結果、アメリカは厭戦気分となり傀儡政権は倒れ、最後には撤退した。だが大東亜戦争では日本を非難する報道はあっても擁護するものはなかったのではないか。
 
 戦後、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」に、「満州」は「中国東北部」に言い換えさせられた。自分の中学生時代の教員は、「満州」ではなく「中国東北部」と言わなければならないというようなことを言っていた。彼らは忠実だったのだ。
 日本の戦前の理念は否定された。それを嬉々として受けいれた人もいれば、無念の思いを噛みしめながら黙々と堪え忍んだ人もいる。普通一般の人々は、空襲の恐ろしさから解放された安堵感が第一だったろう。家族の命を奪った米軍への憎しみは何処に行ったのか。日本人は軍国主義者の過った指導、洗脳によって戦わされていたので、本当に悪いのはその一部の軍国主義者なのだという説明が浸透していくと恨みはそこに向き、占領軍は解放者のようになっていったのではないか。
 
 自分がこのたび数人の人にインタビューして共通に感じたことは、彼女たちが戦前は日本軍部の、戦後は占領軍の洗脳を受けたことが、複雑に影響しているということだ。価値観が極端から極端へと振れたのだから当然なことではあろう。
 二言目には「国からだまされて」という言葉が出る。何も知らない国民をだまして戦争させたのはひどいということだ。しかし、彼女たちはB29の無差別爆撃の下にいた人々なのだ。友人、教師を機銃掃射で殺されているのだ。当時の悲しみは今も癒えていない。
 戦後、進駐軍を見てどう思ったかと聞くと、女は外に出てはいけないとか歯を見せてはいけないとか言われていたと言うが、反感や憎しみを感じたかどうかははっきりしない。そのうちに彼らも普通の人間であることが分かり、様々な6年間の占領政策もあって彼女らの憎しみは行き場を変えられたのだろう。
 
 ただただ、二度と戦争はしていけないということだけは心の奥から出てくる真実の言葉であろう。
 日本人はこのことだけは決して忘れない。だから、軍備を放棄しろと言う人は間違っている。日本が戦争を仕掛けさえしなければアジアは平和だというのか。この70年間、日本をよそにアジアは戦争、虐殺を繰り返してきた。この70年間、誰が戦争、虐殺をしてきたのかは明らかだ。
 
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 
 日本はこの理想を堅持している。私たちは、この70年間戦争と虐殺を繰り返してきた国の専制とその国への隷従を拒否する。私たちを、今なおアジアにはびこる専制と隷従から守っているのは誰なのか、よく考えてみよう。