自然の摂理

 カモのヒナが7羽になっていた。
 2羽はカラスに補食されたらしい。
 
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 自分の見ているときにも、1羽のカラスが池の上をかすめて飛んでいた。校舎の高い所にとまり、何回も下りてくる。
 カモの親はヒナたちを連れてツツジの植え込みの中に歩いて行き、隠れたりしている。
 
 自然の中ではこれがあたりまえで、だからこそ9羽という数のヒナが生まれるのだ。とは分かっていても、生まれたばかりのかわいい動物が命を奪われるのはいい感じがしない。
 そのカラスを見つめて、もうやめないと、ここの人間たちから痛い目に遭わされるよという気持ちを送るが、届いているのかどうか分からない(笑)。
 
 
 人間は天敵(捕食者)がおらず、安穏に生きている(お互いに危害を加え合ったりするが)。
 一方では、道具を用いて他の動物を好き放題に捕り、殺し、食べることが出来る。肉や脂肪、皮、さらに生きるためには必要でもない牙や甲羅を手に入れるだけのために殺す。
 万物の霊長としての傲慢さ。
 
 そのことに何か後ろめたさを感じるかどうか、感じたとしてそれをどのように乗り越えるかは、国によって宗教によって違う。自分の中にある、すべての命は平等であるという感覚は、おそらく長い時代を経て日本人の心の中に染みこんだ仏教の影響だろう。
 他の宗教に於いては、遊牧や屠畜の日常からどんな倫理観を導き出したか。
 現在の日本人が、大量に肉を食いながら、どんな生命観・倫理観を身につけているのか。
 
 家の(親、先祖の)墓を守るということもなくなりつつあるらしい。
 ここ数年で近所のお年寄りが何人か亡くなった。
 最後には死ぬということを前提にして今を生きるということが、やはり必要なのだと思う。
 言い換えれば、どのように(どんな人間として)死ぬか、ということを考えつつ生きるということか。