今日も仕事、帰ってDVD鑑賞

 中間考査前で部活動はない土曜日。が、仕事で出勤。
 今日は寒い感じだが、このところは異常に暑く、この寒暖の差の激しさはあまり経験がない。明日はもっと寒いらしいが、やはり出勤予定。
 時間割変更という仕事なのだが、これが予想通りに煩雑で面倒で時間を食う。9時前から一心にやっていて気がついたら3時間以上経っていた。
 出張や年休でいない人の授業を他の人の授業に振り替えて自習を無くす、完全授業というやつだ。
 普通科しかないのだが、2~3クラス同時展開の授業が多いのと使用教室の重複を避けるなどの条件が多く、変更は困難を極める。ある部活では顧問2人が木曜から月曜まで連続出張。お1人は2クラス同時展開の授業ばかり。もうお1人は4単位の授業を持っている。変更したら1日に同じクラスの授業が2時間あるということになる。3週間ほど研修に行かれる方もいるが、非常勤は来ないだろうという非常事態もある。
 
 考査の問題作成(鋭意作成中)、部活の部費集金依頼書の作製(これはほぼ出来ていた)も同時にやっている。そろそろ大会向けの脚本も考えなければならないのだが…。
 
 
 DVDで映画「飛べ!ダコタ」を観る。
 昨年の作品だが、史実に基づいている。1946年1月、佐渡島北端の浜辺に英軍の輸送機(C47=DC3、これを英軍はダコタと呼称していた)が不時着した。高千という漁村の人々が協力して機体を修理し、浜に滑走路を建設(人力で石を敷き詰めた)、再び飛び立つまでの40日間ほどのお話。
 なかなかいい脚本だ(後半一部分が山本薩夫の左翼的映画みたいな感じになるのは少し何だが)。
 演出も役者の演技も落ち着いていていい。撮影も冬の佐渡の雰囲気を出している(冬の佐渡に行ったことはないが)。
 英空軍将兵と日本の寒村の人々の交流。つい5ヶ月前まで敵同士だった者が恩讐を越えて助け合い、半ば不可能と思われることを成し遂げる。実話ということに感動する。
 
 西伊豆に戸田という漁港がある。その近くで、幕末安政の大地震による津波で難破した船がある。ロシアのプチャーチン提督の乗るディアナ号である。破損したディアナ号を天然の良港である戸田まで曳航しようとしたが、途中であえなく沈没してしまう。
 プチャーチン一行は、持っていたスクーナー型帆船の図面をもとに一から西洋帆船を建造し、帰国しようとする。幕府の援助もあるが、近隣の船大工が西洋の技術を教わりながら建造にあたった。
 当時の和船には竜骨がなく平底だったので、建造の仕方は全く違った。帆も三角帆である。しかし翌年に船は完成し、戸田にちなんでヘダ号と命名される。そのヘダ号でプチャーチンは帰国した(7ヶ月かかったという)。
 この時日本人が習い覚えた建造技術は江戸の船大工に伝達され、数隻の洋式帆船が造られた。
 
 大地震津波の直後、戸田も大変だったのだろうが、困っている異人を助けようという村人たちの気持ちは、終戦直後、敵国だったイギリスの飛行機を飛ばした佐渡の人々の心になんと通じていることか!
 日本人の秘めた誇るべき心性というべきであろう。
 
 
 南シナ海での衝突。東シナ海と同じ事をやっている。ただベトナムは環礁を武力で奪い取られた経験があるから黙っていない。フィリピンも国際司法裁判所に提訴すると言っている。黙っていたら南シナ海全域が一国の領海のごとくなってしまうだろう。
 中国企業へのデモ隊の乱入、破壊。つい2年前に中国で見られた光景。あの時何と言っていたか。  人民の怒りは理解できる、と日本の責任にしていたのではないか。ベトナムの人民も怒っているのだ。無責任な責任転嫁と自己中心的なダブルスタンダードも、さすがにメッキが剥がれてみすぼらしくなってきたようだ。
 
 憲法解釈の変更が必要だと言う報告。「9条護れ」と連呼する人々。どちらが冷静に考えた結果なのか。解釈の変更が日本を戦える国にしてしまうということを心配しているようだが、侵略軍に対して戦えない自衛隊に国民を守ることはできない。自衛隊違憲ではないのだから、撃墜とか撃沈されてからでないと反撃が出来ないという現状はひどい。日本が70年を経て再び朝鮮半島や大陸を侵略するなどというのは杞憂と言うか、ためにする言辞ではないか。
 「飛べ!ダコタ」なら、あなたは今も戦争しているつもりなの? と言う所だろう。いや、某国と某国は今も日本と敵同士だと思い込んでいるのだろう。日本人の中にもその考えに共鳴する人がいるようだ。