東北幻野第31回演劇公演

 寺山修司没後三十年に捧ぐ
 「四谷怪談 東北幻野版」 原作、四世鶴屋南北 脚本、大原 螢 潤色・演出、海藤芳正
 平成25年11月10日(日) 14:06開演、15:38終演、挨拶終了15:41 新庄市民文化会館大ホール
 入場数 13:45時点で100人以上(最終的に120~130くらいになったか)
 芸文協会の依頼で、招待券をいただき観劇。 9日(土)19:00からの上演もあった。
 
 強い雨の中を1時間半くらいかけて新庄へ。会場でO江先生とお会いする。帰りは雨も弱くなり、やがて光風霽月となる。最上と山形では気温が違う! しかし明日の県内は庄内以外雪とか…。
 13年前に上演したものの再演のようですが、31回目の公演、6ヶ月を準備と稽古に当てたとのこと、その努力は敬服すべきものです。
 
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 伊右衛門の心の歪みが悲劇を生んでいくのだろうが、この心理の奥底が描けたか? お岩の伊右衛門に対する思いの変化も十分に描けていたか?
 歌舞伎の舞台のように、仏壇抜けとか戸板返しとかあるのかと期待したがそれはなかった。幼い頃、怪談映画に怯えたように日本的おどろおどろしさに震え上がることもなかった。亡者たちの登場シーンもゾンビ映画の印象の方が勝ってしまい、ラストシーン、上から下りてきた長い髪の毛に絞め殺される伊右衛門、背後にお岩という構図もホラー映画の印象が強くて、この芝居の演出が映像的に発想されていることを感じさせた。

 緞帳開いている。上・下の大臣柱にSSなど(緞帳線前での芝居を照らす)。それを隠すパネル。その前に燭台。開演前に青白い光がともっている
 一面に黒い地がすり。前に間口4間半ほどの高さがベタ置きの平台で作ってある。奥行きは1間半から2間か。ここがおおよそ部屋になる。ここも地がすり。上手袖際に柳の木。立体的に作ってある。風を送って枝葉を揺らしていた。
 奥、中割幕の線に間口5間ほど3尺弱の高さの土手がある。土手にも黒い布が掛けてある。下手に5段の階段。上手奥に石垣の書き割り。手前にくの字にパネル。上が3尺四方の障子になっている。パネルの上手に2枚の木製の戸。これは開閉しない。土手とパネルの間から出入りする。伊右衛門の家では部屋の下手奥に破れ障子が1枚出される。行灯、枕障子など。上・下の袖からも出入りする。
 背景は黒幕だが、スモークに下から緑や青、紫の明かりがあてられ、不気味さを醸す。スモークは多くの場面で炊かれた。
 
 お岩の苦悶のシーン、バックサスから部屋に赤い光が差すなど照明は凝っていた。提灯や行灯の仕込みもいいが、暗転時に提灯を消す工夫があればと思った。
 行灯の明かりを入れたのなら、部屋をもっと暗くした方が効果的かも知れない。
 暗転中に暗いサス明かりが点いているが、その中で死体が起きあがって退場したり、登場して死体として寝たりするのが見えてしまった。これは興ざめ。
 
 音響は、拍子木と太鼓から始まり、笛・三味線など歌舞伎を意識した選曲になっていた。が、少し過剰な気もした。赤ん坊の泣き声が上手袖から聞こえたが、パネル裏に仕込むなどした方が違和感がなかっただろう。
 
 衣装は時代劇なので当然和服なのだが、着物を集めるのは苦労するものだ。頑張って揃えたのでしょうが、江戸時代の身分による違いを出すのは難しく、使用人と主人の着物に区別がつけ難い。お米などは本来は縞柄でないだろうか。伊右衛門やお岩の着付けが緩い感じで裾が開くのが気になった。お梅が桜色の振り袖で髷に花簪、浅黄色の手絡では、武家の娘というよりは町娘に見えた。他の役者さんは髷を結わず(日本髪風にまとめてはいる)、かつらも被らない。アマチュア演劇では無理か。女性陣は半年伸ばしたら日本髪は結えないかな? 傘貼り内職に本物の和傘の骨を出したのは立派。
 
 演技としては、時代劇ということもあってか、やや表面的な感じを受けた。しっかり時代劇(世話物?)になっているというには不足な部分があり、現代演劇として人間心理を描いているというにも不足な所があるという感じ。表面の装い(善)と内面の本質(悪)とが入れ替わるところの演技が不分明で、人物像が浮き出てこない恨みがある。
 暗転は多かった。伊右衛門の家、伊藤喜兵衛の屋敷、外と転換するためであるが、これは脚色の仕方を工夫できなかったか。伊右衛門の家だけにしても芝居が書けるように思う。複雑に絡み合った話をどこか一点に絞り込み、登場人物の心の深みに入っていく方が、観客の感情移入を容易にさせたのではなかったろうか? 
 極悪な男どもとそれに対する女の復讐の話ではなく、小説「嗤う伊右衛門」のような斬新な脚色ができたらいいのですがね。
 お袖と直助のその後、お岩の子のその後が不明なのも気になった。
 
 良い場面で観客席から携帯が鳴ったのは残念でした。