学校祭上演終了

 今回の台本、初の上演が終了した。ほぼ60分。まあ、不備な点だらけです。分かっています。
 9月3日から部活再開。そこから10日足らずで地区大会(搬入、リハ)。どこまで直せるか。
 始めて上演して、部員生徒も、客観的に観るとどうなのか分かっただろう。ここからが正念場だ。
 音響は無音の暗転と幕切れを解消すること。
 照明は変化をはっきりと、場面の意味が分かるように。
 衣装も役柄をより表現できるように。
 
 動きのない、2人の会話。てきめんに眠くなる。前明かりが暗いのもそれを助長する。
 内容については、3年生部員(前部長)が「おもしろかった」と言ってくれた。別の先生からは「深い」とか「あんなのも書くんですね」と言っていただいた。もちろん眠っていた方々も多いので評価は何とも言えない。
 
 疲れた。休みには医者に行って、ドコモショップに行って、…今までできなかったことをしなくては。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 関東大震災は「関東大虐殺」とすべきだと韓国の教授が言っているようだ。
 「狂奔」という言葉が浮かぶ。反日、侮日への狂奔だ。
 日本海は東海に、竹島は独島に。李承晩が勝手に公海に線を引いて40人以上の日本人漁民を死傷させたことへの謝罪はないのか。
 
 しかし、こうやって歴史認識の問題を向こうから掘り返してくると、本当にそんなのだったのか? という疑問が湧き、調べると実は…という経過が出てくる。彼らが、日本人の歴史認識を改めさせてくれているのだ。ありがたいと言っても良いかもしれない。併合が善意を含んだものであることや、関東大震災での一部朝鮮人の行動が本当に暴動(放火、略奪、強姦)だったということなどが分かってくる。なんで日本人は震災の被害を受けているさなかに朝鮮人を殺さなければならなかったのか? 実は私たちはよく分かっていないのだ。
 民族的差別意識が、極限状況で直ちに虐殺につながるものか? どうもよく分からないままに信じ込まされているのではないかという疑問を私たちに持たせてくれる。みんな、自分の目で確かな資料を見よう。いったい何人の朝鮮人が虐殺されたのか? 当時関東地方在住の朝鮮人数、震災での圧死、焼死、行方不明の人数、これを差し引きすれば分かるはずだ。
 どうして一般市民が自警団を作って、家族を守るために人を殺傷しなければならなかったのか。ただの流言飛語によってそんな状況になるのか? 今回の大震災時、日本人のとった行動を見れば、いよいよ不審な気持ちにならざるを得ない。さらに、戦後すぐに朝鮮人のとった(自称戦勝国進駐軍)行動を詳しく見れば納得するにちがいない。それは延々と現在に至るまで続いているのだ。
 
 70年近くも経って、一方的に歴史認識の上塗りを迫ることがそもそも異常だ。平和に徹した日本の70年をどう見ているのか。自国民を殺し、ベトナム人を強姦し殺した軍隊を持つ国が何を言っているのか。
 ヘイトスピーチって…、「小日本」・「日本鬼子」という侮蔑語を常用し、日本国旗を焼き、大使館にペンキやペットボトルを無数に投げつける行為は何だ(つい1年前の事だ)。日本の国鳥キジを殺し、生で食う、小学生に日本人を殺す絵を描かせるのはどういう教育だ。それらをまず反省すべきではないか。
 支那チャンコロと言ったら怒るだろう。太極旗を切り裂いたら狂乱するだろう。我が身を省みよ。
 「馬鹿でもちょんでも」が差別用語だなんて、だったら「ちょんまげ」はどうする。
 つくづく疲れる。おつきあいは一切お断りし放置したいところだが、あまりに執着し、他国まで巻きこむので放ってもおけないのが悩ましい。