死闘(笑)

 全国大会も2日目。東北代表の名取北高も、ツイッターなどをみると良い上演だったようで何よりです。
 
 昨年は富山まで1・2年部員全員で出かけたのだった。
 今年はずっと稽古している。29日から立ち始め、1日から完成台本で場練している。
 死闘が始まりました(笑)。最初はもう、見ていて身悶えしてしまう状態。おおまかな動きを付けるのだが、生徒演出にはなかなか荷の重いことなのだろう。役者が2人並んで会話する、漫才のような状況。
 今の場面の意味が見ていて分からない。同じ台詞を言っているのだが、理想のイメージと全然違う。
 これは、名高い台本を使って上演してもオリジナルと全く違うものになってしまう現象と似ている。台詞に対する理解の浅さ、脚本の真髄を舞台上に現出させる演出力の不足が原因である。オリジナルの高校が表現したかったことが、脚本を読んでも表面的にしか読み取れないのだろう。
 
 少しずつ、台詞の意味(含み)を説明し、動きを付けていく。基本的な位置関係を決める。配置によって人物の関係を見せるというのがやはり生徒には難しいのだろう。
 
 動画投稿サイトに高校演劇の舞台が多数掲載されているが、見てみると中には辛いものもある。あるものは結構有名になったが、脚本がメッセージに偏っているため、本当に「演劇的な」動きがない。これを「演技している」と錯覚してしまうのが怖い。これは、主張したい内容は高校生レベルでも、演技的には学芸会の延長に過ぎないのではないかと思うのだ。もう少し言えば、演劇部の劇と、他の運動部などが文化祭でやる寸劇との本質的違いはどこにあるのか、だ。
 
 幅4間、奥行き3間くらいの空間で数人が位置を取り、動く。たくさんの台詞がやりとりされる。そこに何がどんなふうに現れるのか。現すことが出来るのか。少しずつ少しずつやっていくしかない
 今日は6場に少し光が見えたので良かった。やればできる。
 顧問の脚本を、おもしろいと言ってくれる部員たち。結局、彼女たちのために書いているんだろうなあ。
 
 
 30日に別役実の「象」を観劇の予定でチケットも購入済みだったのに、忘れていて見過ごした。最近少し不安を感じて手持ちの何枚かのチケットで日付けを確認していたはずだったのに。これは歳のせいなのか台本に気を取られていたせいなのか。いや残念である。観た人の話を聞くとさらに残念であるがいたしかたない。