脚を失う子供

 昨日は緊急地震速報が鳴ったのだが、市内はあまり揺れを感じなかった(震度2)。でも緊張はした。
 頻発している感じだが、人間がどうすることもできないことではある。覚悟して備えるだけである。
 
 
 ボストンマラソンでの爆発物によるテロ。ひどいことである。
 が、少し考えた。対人地雷のことだ。
 世界ではどれだけ多くの子供や農民が、対人地雷のために脚を失っているか。
 そもそも、敵兵を戦闘できないようにし、命までは奪わないため救命の負担を敵に負わせるというコンセプトで作られている兵器だ。残酷なまでに効率的な発想である。それを作り、使用しているが、大量に撒くため後の処理が難しい。兵士以外の子供や農民がその犠牲になる。
 
 アジアの子供が脚を失っている時、アメリカの親は何を思うか。アメリカの子供が脚を失った時、地雷によって脚を失った子の親は何を思うか。
 あるいは無人機の誤爆で、葬儀や結婚式に集まった人々が犠牲になる。平和なスポーツの場に争いを持ち込むなというが、では厳粛な式の最中に爆撃するのはどうなのか。
 
 テロの犯人が誰なのか分からないが、もし報復的な意図があるのであれば、(誤解を恐れずに言えば)その心情は理解できなくもない。チェチェンの女性がロシアに対して自爆テロをするのを思い起こせばよい。
 もちろん自分はその行為に賛成しているわけではない。
 
 ただ、一方では戦争の渦中で、人間の作り、ばらまいた兵器で傷つく子供がおり、一方で戦場からは遠いが、他国に対し戦争をしている、決して地雷も無人機攻撃も受けない国の子供がいる。
 ああ、そこに(その不公平に)疑問を持ったなら、正常な神経の人間であるほど苦しむのではないか? そこからテロへと壁を乗り越えることはないにしても、疑問も持たないのは罪ではないのか?
 
 テロはこういった疑問の提起を意図したとしても、逆に相手の「愛国心」を高めて、いっそうの戦争激化を招くだけだろう。