春フェス、「シュレーディンガーの猫」について

 私の記事(感想)に作者からコメントをいただきました。ありがとうございます。自分の感想に作者の方からコメントをいただくのは稀ですので、たいへんありがたく感じています。
 
春フェス上演、お疲れさまでした。私の感想が失礼になったのでしたら申しわけありません。自分の理解不足以外のなにものでもなく、不明をお詫び申し上げます。
舌足らずの感想を補いたいのですが(蛇足かも知れません)、どうかお読みいただいて、さらにご教示いただければ幸いです。
 
もう時間も経ち、台詞もほとんど忘れているので、これから書くことはあいまいな記憶によるものです。間違いに間違いを重ねているかも知れません。
 
 「被災者と被災者でない者が、生きている限りにおいてはみんな同じである」、(同じように生きたい、生きさせてほしい)という主張はよく分かります。
しかし、それは、あるいは避難先での違和感・差別体験というような事実の前に顕現するものではないでしょうか? あのクラスの「お別れ会」の中に、特にそういうものが描かれてはいなかったように思います。そのために、被災者の思いが明瞭にはなっていないのではないかと思ったのです(脚本を読んでいない私のいいかげんな記憶のせいかもしれませんが)。
東北大会秋田大会で能代高校さんの上演した「かすりきず」は、その日々の微妙な違和感を「深い傷」ではなく「かすり傷」として表現していました(あの主人公は福島に帰ろうとしていたと記憶しています)。
 
さて本当に、両者の生きる姿勢には違いがないのでしょうか? 生死を分けるような体験が、その後の生き方に何も影響しないということはないでしょう。いや、そんなことは当然であって、さらにその違いの上のレベルで「本質的には同じだ」という考えがあるのでしょうか?
 
 被災者の心情を思えば、それを題材に芝居をつくる勇気は私にはありません。しかし、いつか誰かは、この大災害の中に現れた「人間」を演劇によって描き出すでしょう。本質的には同じ人間なのに、一方は不条理な世界に生きなければならないことの意味を問いかけるでしょう。その一つとして、同じ福島県でも津波放射能の激甚な被害を受けてはいない大沼高校さんの舞台もあったのではないでしょうか?
 
 浜通りから会津へ、さらに九州へと避難する主人公は、福島県のおかれた状況に対して、その他の生徒たちとは違う意識を持っているようです。しかし、主人公の主導する「フルーツ・バスケット」の作用によって、最後には全員が「絶対忘れない!」という共通の認識に至ったように思われます。この経過が、つまり主人公(被災者)が他の生徒(非被災者)を変化させていく経過が、私にはよく飲み込めなかったのです。