年末雑感2 だいぶ酔ってきたのでそのつもりで

 26日に中国では毛沢東生誕120周年を祝ったが、日本では首相が靖国神社を参拝した。
 
 毛沢東は自身の指示で数千万人の自国民を「不正常な死」に至らしめた。しかしその気の遠くなるような「間違い」も、彼の「功績」を打ち消すほどのものではないのだそうだ。それほどの功績とは何か?
 
 A級戦犯(平和に対する罪)は300万人の日本人を死なせ、外国の多くの人々を死なせた張本人なのだと。いや死なせた人数で悪質さの程度が決まるわけでもないのだろうが。
 戦争は国家間の存亡をかけた戦いだ、正義も悪もない。勝ち負けがその後の趨勢を決定する。裁判という体裁で勝者から一方的な理不尽な断罪が行われても、敗者は従うしかない。
 一方、自分の権力維持のために自国を未曾有の混乱に陥れる行為は違う。その国の人が裁かなければ他国がどうこう言えるものではない。そこにつながる「正統」な政権がある限り、カンボジアのように政権が転覆し裁判でも行われない限り、かつての独裁政権を自国民でも断罪することはできない。逆に崇拝の対象にさえなる。
 さて、それぞれに拝礼する国家指導者の心を考えると、どうだろうか。
 どちらが自国民に寄り添っているといえるのか。
 
 日本は今後一切、他国領土・資源の奪取、他国の併合などしないと心底から誓っている。そうして68年間平和国家として生きてきた。これは誰も否定できない事実だ。
 
 今現在、他国の領海・領土・資源を奪い(奪おうとし)、他民族を支配下に置いているのは誰なのか。
 靖国(戦犯)参拝を国連で禁じる決議を提案するだと? 今やアフリカ諸国でさえ中国を信用する者はいないぞ。自分の足元を見よ。すさまじい自然破壊・公害と格差。他民族そして自民族からの絶望的「テロ」の続発。反腐敗闘争に見せて権力闘争をしているが、自分たちの家族・子孫はすでにアメリカに資産(どうやって手に入れた?)ごと移住するという無責任さ。後に残される10数億の民を虫けらのようにしか思えない古代王朝以来の認識。毛沢東の、農村を根拠地にする思想はどうした。解放(という名の地主からの強奪)したはずの農民を再び奴隷化しているのではないか。
 このままでは滅びの日は近い。悔い改めよ(自分はキリスト教徒ではありませんけど)。
 
 ああ、韓国…。弾丸、緊急事態だと言って要請してたじゃないか! 嘘つきはどっちだ。いらないのならさっさと返せ。二度とやるな。
 
 …酔ってますので、突っ張ってますから、そのへんよろしく。