2本目の観劇感想です。
あくまでも自分の好みで勝手に書いていますので、偏った見方になっていることをご了承ください。
永井愛の2時間半の作品を1時間にした(!)舞台。
まだまだ女性が独立した人格を持ち難かった時代、世間知らずのお嬢さんたちが、理想を追いながら大人の世界に踏み込んでいく、その過程で、あるいは失望し、挫折しながら女性として生きていく姿を、同年代の高校生が精一杯描こうとした姿勢には敬意を表する。
まだまだ女性が独立した人格を持ち難かった時代、世間知らずのお嬢さんたちが、理想を追いながら大人の世界に踏み込んでいく、その過程で、あるいは失望し、挫折しながら女性として生きていく姿を、同年代の高校生が精一杯描こうとした姿勢には敬意を表する。
全体にうまく切り詰めたとは思うが、新庄先生の光島への告白場面がカットされてしまったり、ストライキに向かっていく緊張感が削がれたり、やはり分かりにくくなっていたことは否めない。
光島と杉坂の最後のやりとりは絶品だった。装置(階段などの高さ)や衣装の支えがあれば、もっとすばらしい場面になったに違いない。
役者たちの演技は総じてすばらしかった。しかし、装置や衣装の問題もあって、作品理解に必須な「時代性」を表現しきれていなかったのが残念である。
明治末期、高知県にある女子師範学校の談話室が舞台。季節は秋10月。だが生徒たちが夏服、膝下丈のスカートなので、季節感、時代感がない。和服に袴、日本髪のはずだ。 装置は下手に寄って大きな(図書館などにある)机とクラシックな木の椅子が5脚。それに談話室入口の位置に壺か花瓶かを飾った台があるだけである。談話室はバンドアで灯りを四角に区切って表現している。談話室の出入りの際、ドアを開閉する仕草はしない。談話室の背後を廻って下手袖に退場するが、廊下の存在を示すためにか、ことさら直角に曲がったりしていたように感じた。
談話室の窓(やや高い位置にある)を開閉する仕草はある。しかし、ラストで飛行機を見るのはその窓の位置からではない。そのため、幕切れの肝心な場面で「そこに窓はあるのか?」という疑問が湧いたりして、昂揚感に浸れなかったのは惜しかった。
談話室の窓(やや高い位置にある)を開閉する仕草はある。しかし、ラストで飛行機を見るのはその窓の位置からではない。そのため、幕切れの肝心な場面で「そこに窓はあるのか?」という疑問が湧いたりして、昂揚感に浸れなかったのは惜しかった。