劇団めざましどけい ALARM61

 平成26年12月19日(金) 18:00開演 20:21終演
 県生涯学習センター遊学館ホール  入場数30くらい? 20日(土)にはもっと入場したようだ。
 「ユリイカ」 脚本、小山内雄平  演出、加藤鈴鹿
 
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 小説家の母を持つ娘が、母の死後その秘められた過去を知り、未完成の遺稿を書き継ぐという話。
 母は早く離婚した父親(主人公の祖父)を知らずに育ったが、母親(主人公の祖母)は自分の死期を悟と、父親が校長をしている学園に娘(主人公の母)を転校させる。父親は目を掛け、土地を娘名義にして贈る。しかし、学園生徒間のいさかいで再び転校してしまう。この後、小説を書くようになったのだと。
 母を担当していたかつての編集者、母の級友たち、遺産相続に関わる弁護士、母と娘の家に密かに住み込んだフアンの女などが登場して話の枝葉を広げている。良く書いたとは思う。
 しかし筋書きを追うのに多くが費やされ、あるいは本筋の展開にあまり関わらない余分な挿話に費やされていたような感じもあった。もう少し整理して100分くらいにしてもいいのではなかったか。
 娘(主人公の清水薫子)の現在の話と母(清水時子)の過去の話とが入り乱れていて時々わからなくなりそうだった。それは語り手が一定せず、登場人物が台詞以外に筋書きを述べてしまう時があるためと、舞台装置、場面転換の問題があるからであろう。
 
 舞台は下手側2間が和室、その背景の壁が高さ1間で、その上に別場面として人が登場し演技する。続いて中央も同じような壁があり、部屋の延長、あるいは別の場面として使用される。上手袖側1間巾の階段があり、3尺上がってから下手側にまた階段で上がり、壁の高さになる。ここも人が上り下りする。前景下手・上手、後景(上段)、階段、と場所によって場面を変えるという使い方の装置である。転換は照明の切り替えによるために頻繁な暗転が必要になり、(印象では)5分に1回くらいはこの転換があった。
 これは芝居の流れと言うよりは映像表現的な発想から来るもので、映画ならいいのだろうが舞台では煩わしい感じを与える。
 簡素で抽象的な舞台装置にし、照明は変えずに人の入れ替わりだけで場面転換する方法が、あるいは適していたかも知れない。
 
 演技面では、母と娘、母と同級生、娘とその友達などの心の交流はある程度見えていたと思うが、じっくりと場面を作る時間的余裕がないためか、十分な受けができていない感じだった。
 過去のシーンでは昭和40年代ネタが多かったが、調べたのだろう。でも言葉だけでなく、歌うとか踊るとかしてみたらもっと良かったかも知れない。
 
 タイトルをプロジェクターで投影するのはいつものごとくであった。
 
 うちのOGのT田さんは来年3月に卒業するので最後の出演だった。後輩のA目と共演しているのを見ると不思議な感慨があった。お疲れさまでした。
 
 
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 上演中、たぶん調光室からだと思うが男性の話し声が漏れてきてかなり気になった。劇団スタッフだとしたら、窓を閉めて、静粛に上演に集中するべきだろう。自分たちの芝居を大切にしないと。