劇団のら 第六出撃 二周年記念公演

 「けぶりくらべ」 作、伊藤 穂(キャスト兼)  演出、原田和真(キャスト兼)
 平成24519日(土)14:00開演 16:06終演 県生涯学習センター遊学館2階ホール 
 入場料1000円(前売り800円) 入場数8090? 招待券で入場 18日(金)18:30~の上演もあり
 
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 明るくなると緞帳上がっている。下手袖に連続してドア(枠、ドアともに角材の骨組みだけの構造)、平台で幅2間、奥行き2間くらいの部屋が作ってある。下手に棚、中央に肘掛け付椅子とソファとテーブル。背後は板壁風の1間高のパネル。下手から3間ほど続いている。壁には飾りとして正方形の布が角を上にして2~3枚貼ってある。最初柱時計があったと思ったが途中からなくなった? パネルの奥に高台があってその上で演技する場面が結構ある。後半、ソファの後に人が倒れ、そこに油を撒いて火を点けるという設定で、実際に液体を撒いていた。ビニールシートを敷くなど何らかの処置がしてあったのだろう。
上手にはカウンターと木の高い椅子2脚。後に棚、板壁風パネル。ここがスナックであることがわかる。上・下のパネルの間に暖簾が掛けてあり、奥に出入りする。そこから上手に4尺ほどの高さで2階に登る階段(6段)が見える。上手袖(店の奥という設定)にも出入りする。
 これらのセットの前面が店の外の設定になっていて、外での芝居をする。
 これはアマチュア演劇に限らず、高校演劇でもよく見られる装置の典型的な例と言ってもいいだろう。
 また、このセットが、スナックと登場人物の自宅に使い回される。それは下手の部屋の肘掛け椅子の有無、上手のカウンターの位置換え(2分割される)、椅子の撤去によって表現されるが、背景の大きなパネルが一緒なので分かりにくかった。
 下手ドアが開閉するとき、スナックの場面ではいちいちドアチャイムのカウベルの音がしたが、五月蠅かった。最後には上手がカウンターを撤去して野外での宴会場面になったが、無理があった。これだけ場面転換されるのであればもっと簡略化したセットの方が適していただろう。
 台詞によって、この店は山の中の小さな村にあるということが分かる。郵便ポストが山の向こうにしかないとかいう。そういう地域だと感じさせないセットだった。
 
 時間経過(暗転)と共に衣装換えが頻繁に行われていた。衣装の選択や早着替えのレベルは高いと思うが、やや過剰な感じもした。
 
 音響効果のレベルが大きく、台詞を聞く邪魔になる場面が何回かあった。途中、レコードの針が飛ぶような雑音があったが、計算どおりだったのか? 
 
 照明はいろいろ工夫していたが、操作に慣れていない感じがした。スモークを炊くのはよいが、後の場面での処理が問題になる時があるので注意が必要。
 音響と照明と転換の連携がややもどかしい所があった。
 
 演出面では、照明を変化させ、女2人(春花と百合)が同時に相手に本音をぶつけるという場面が面白かった。一瞬後、照明がもどり、女2人は何事もなく以前の会話を続ける。内面の表現だったわけだ。
 
 
 スナックのママ春花は交通事故で家族全員を失っている。事故について自責の念を抱えている。特に、小説家になる夢半ばで亡くなった妹のことを忘れられず、自ら小説を執筆しようと、その材料にするため秘かに客の会話をノートにメモしている。
 この村に東京から小説家の卵のような若い女性百合がやってくる。村で発行されるフリーペーパーに記事を書いたりする。
 村のケーキ屋?の息子秀時は、この小説家がかつての恋人カオリに瓜二つであることに複雑な感情を持っているが、しだいに惹かれていく。しかし、過去の恋人の幻影と現実の百合とが交錯し、秀時は錯乱していくようだ。
 村では連続して放火が続き、犯人は誰か憶測が飛び交う。秀時の家も放火で焼失するが、自演ではないかという噂が囁かれる。(村なら男たちは消防団員なんじゃないかな?)
 百合は春花のノートを読み、盗み出すとそのネタで小説を書き上げる。出版社の賞に応募するために郵送しようとするが、原稿を預けた村の小説家志望の男八雄に盗作される。
 ノートを盗まれた春花は、常連客の男泰二に疑いをかけ、その自宅に押しかけて返せと迫る。逆上し、ついには泰二を刺殺、油を撒いて放火する。放火犯は妹の遺志を継ぐという執念に狂った春花だった?
 村の神社のけぶり祭りの日。秀時はカオリの思い出を失いたくないと思い、百合を消すべく彼女の家に放火するが、思い直して百合を屋外に連れ出し、自分が燃える家に入って自殺する。火事の煙は祭りの煙に紛れて、野外で宴会をしていた村人はことごとく焼死する?
 八雄と春花は生き残り、後年再会して会話し、ノートを盗んだのが百合だったことを知る。
 
 理解した内容はこんなところだが、途中数分間退席したりしたので間違っているかも知れない。他にも村人が数人登場し、その関係のエピソードがある。
 
 2時間を費やして、僻村の大事件の謎解きをするという趣向なのだ、とは後半になって明確になる。前半は舞台設定や人間関係を知らせるのに費やされるせいか、誰が中心で、どこに話が進むのか見えなかった。また、この辺では内輪ウケが強いように感じた。
 
 幕切れのシーン。高台の春花、時間は後年の場面であったはずだが、年配になった八雄が高台から下り、かつての村の仲間に加わって宴会をする。そして台上の春花に向かって、「つらい?」と聞く。春花は「つらい」と答える。村人達笑う。幕。…よく分からなかった。
 
 役者の演技という点では、それぞれが良く演じてはいるが、全体としてやや物足りなさを残した。リアルな表現と誇張表現のバランスが良くないのかも知れない。そういう意味では芝居全体の基調を為す演出が不徹底だったとも言えようか。
 意外に内面のドラマが強い作品なので、舞台美術を整理して象徴的にし、暗転を少なくして(衣装換えも減らし)流れ(変化)を強調したらどうだったろうか。脚本の問題(とりわけ時間的構成の複雑さというか未整理)が大きいようにも思った。
 
 他劇団(演劇集団舞台工房、劇団かんぱい、漢劇WARRIORS)からの客演あり。