芝居一座「風」第23回公演

 『水平線の歩き方』 作、成井 豊  演出、大泉淳一
 平成23年10月22日(土) 18:34 開演 19:51 終演
 山形市中央公民館 入場数150くらい?
 
 芝居一座(げきだん)「風」は、平成元年に旗揚げ公演をしているので、年度と公演回数が一致している。成井作品はこれで7作目。他に北村想作品を3回上演している。昨年は野田秀樹
 
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 打ち寄せる波の音で緞帳が上がる。中央に尺高、幅2間半、奥行き1間半くらいにポータブルステージでアパートの一室が作られている。奥に壁(9尺高の白いパネル)、ドア、上手1間幅にキッチン(流し台、ガス台と冷蔵庫)。サッシ窓がある。その前にソファベッド。中央にカーペットと卓袱台。下手壁に丸い時計。前に本棚。その上にトロフィーとラグビーのボール。
 パネルまで中割が狭めてある。奥のホリゾントは暗いのでほぼ見えない。部屋の上・下は空いていて、灰色の地がすりが敷いてある。ここで回想シーンが繰り広げられる。上・下の袖に接して9尺高1間幅の白いパネルが立っている。ここにラストシーンで舞台端に置いた波マシンから投影される。舞台美術はすっきりして洗練されている感じ。
 ラストシーン、中割幕が開き、部屋のパネルが2つに離れ、袖に引き込まれる。この時、キャスターの軋む音がする。ホリゾントが青空になり、その前、下手に地がすりをかぶせた台があり、母親が空を向いて立っている。そこで幕。
 照明は、最初夜の場面で、上・下が青くなっていて部屋は暗い。部屋の灯りを点けると上・下は消える。回想シーンでは部屋に照明を当てないようにシーリングを点けないので、役者が1サスの前、舞台端近くまで来るときはフロントから当てることになる。
 SSが強くて、役者が袖に出入りするとき光って気になった。上手から当てるとき、下手に長く影を引くのも気になった。舞台面をきらって当てると良い。
 
 役者さんは前半緊張しているようだった。台詞も不安定な感じで言い直しもあった。そのせいもあってなかなか芝居に入っていけない。お話の構成が、だんだん種明かしされていく形であるためでもある。が、次第に役者さんものってきたのか最後の方で母と男の葛藤するシーンは感動した。ラストシーンは装置の大転換があるが、無言で、やや冗長な間だったか。
 
 ストーリーは、交通事故で意識不明の35才の男が、夢の中?で12歳の時に死別した母親と再会し、励まされて生き返るという大枠があって、そこに、男が母の死後、叔父夫婦の養子になりながら、他の人を愛しても離れることになるのなら一人で生きるという生き方をしてきたこと、男がラグビーだけは上手く、35才まで選手でいたが、膝の怪我で選手生命を断たれ絶望すること、が柱になる。
 でも、叔父夫婦にしろ、その実の子の弟にしろ、主治医である恋人も友人も、皆、男に対して愛情を持ち、良く接していると思う。不幸な生い立ちというほどのものではないのではないか。ラグビー選手という設定も必然性が薄いし、そんなメンタリティーで続けられる競技なのか、とも思う。
 成井作品、登場人物が自分で説明して進めていくので見やすいが、設定は無理押しの感もある。
 
 

 この芝居とは直接関係ないが、漫画のことを書きたくなったので書きます。
 萩尾望都の『柳の木』は、ほぼ台詞のない19ページの作品である。川の土手下に柳の木があり、傍に若い女性が立っている。同じ構図の絵がずっと続くが季節や天気が変わっていく。土手の上を行く人、どうも子供から大人へと成長しているようだが、若い女はそのままである。土手を行く人は結婚し子供ができ…、ある日土手の下に降りて来て、女に言う。「あなたが…急にいなくなって、捨てられた…と、恨んだりしたこともあったけど、でもずっと見ててくれたね。ぼくはもうだいじょうぶだよ。お母さん」そして男は柳の木を抱く。
 また、『ふたつのスピカ』で主人公が夢で母に会う場面。船で三途の川を渡ろうとする母(包帯で顔は分からない)に呼びかけたいが声をかけてはいけない。見開きの2頁に、大きな布に「おかあさん」と書いたものを旗のように持って岸辺を走る主人公。
 これらは子供の頃に亡くした母親への思いを直接に表現したすぐれた作品だと思う。どちらも読んで泣いてしまった。