雪は舞うが、地上の雪は消えつつある

 特別時間割になっているため終業時刻が1時間早い。部活の時間がそれだけ長くなっているのはありがたい。
 装置は階段の半分(3段分)が形になっている。その先は、昨日材料を買ってきたので今日から製作。ある限りの材料をかき集めて3段分を作ったがもう限界である。2、3千円使って角材とバリ材とコンパネを買ってきた。後はドアだな。

 稽古は半立ち。だんだん出来てきている。演出、助演出が良いダメ?を出すので改善されていく。他にもみんなが様々な意見を出すが、みな的外れでなく、台本の要求を理解した上での意見であることが分かる。これはいい進み具合である。6場90分の芝居だが、時々台本を見るものの一場ずつ止めずにやれるまでになっている。というわけで次第に動きも付けられている。しかし、小道具がそろってきたらもっと考えなければならなくなる。

 家の中、のように装置がきちんとしていると合理的な動きが考えられる。写実的な装置の中ではリアルな動きが要求されるから、観察が生きてくる。演技の基本が重要になる。大げさな感情表現や非日常的な空間での動きばかりが「演技」ではないということを強く言いたい。(実際はそんなはったり的高校演劇ばかりではないのだが、なぜか自分はいつも不満を感じている。)

 昨年末の東北大会での宮城広瀬さんの上演中、袖に入って来た役者が何かしている。それは野菜か何かを洗いに来て、その演技を続けているのだった。そして洗い物が終わって舞台に戻って行く。観客に見えないところでも演技が続いているという徹底したリアリズム。
 新藤兼人の映画『裸の島』で、乙羽信子が山の上の畑に天秤棒で水を運んでくる。監督はレンズに入るずっと前から役者を登らせる。これに似ている。これを人は称賛するかやり過ぎと思うか。いや結果がすべてを示すわけだが。