菜の花座 第24回公演

 『死んだ私の殺し方』 作・演出、河原俊雄
 平成23年7月17日(日) 18:00開演 19:56終演
 川西町フレンドリープラザ 入場数30人くらい
 入場料 大人1000円、高校生500円
 
 フレンドリープラザの演劇学校第1期生徒が中心になって平成11年に旗揚げした劇団。毎年7月と12月の2回公演を行っている。
 
 今回のお芝居は座付き作者の河原先生の作。昨今の年金不正受給や孤独死をテーマにしている。
 ご招待いただいて観に行きました。
 
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 お屋敷に1人住んでいる老婦人が何を思ったか、若いリポーターの取材を受けテレビに出た。早速、金目当ての輩が親類縁者を騙って集まってくる。
 最後に来た男が、婦人の夫が行方不明であり、その年金を婦人が不正に受給していることを指摘して強請りをしようとする。夫は20年以上前に屋敷を出てそれっきりであるという。実は夫は婿養子で、全財産を捨てて他の女のもとへ走ったのだった。その女との間の息子が今、輩たちの中にいる。
 年金は手つかずですべて(1750万円ほど)預金してある。その通帳と印鑑の奪い合いが始まる。
 一方、婦人は夫を殺していて、開かずの間に死体があるのではないかと疑い出す人々。婦人は否定するが、明日になったら開かずの間を開けようということになる。
 翌日、部屋からは白骨死体が見つかるが、これは夫ではなく女性の遺体である。なんとそれは本物の婦人の遺体で、生きている婦人は実は元家政婦がなりすましたものであった。家政婦は息子夫婦の借金を肩代わりし、籍を抜いて家出してきたのだ。婦人にかくまわれていたのだが、婦人が病死してから、その葬儀もできないまま放置するしかなく、次第に婦人に成り代わっていたのだった。
 人々の中には家政婦の孫娘もいて、涙の再会となる。婦人の遺言を預かっている弁護士が登場。家屋敷は町に寄付するが、家政婦が存命中は管理を任せるという内容。めでたしめでたし。
 ずいぶん端折ったがこんなお話だった。確かに、「死んだ私の殺し方」というタイトルがぴったりである。
 
 年金の手続きや、死体遺棄が3年の刑期だとか、遺体が腐敗していく過程の描写など、リアルな台詞も出てくるが、全体的にややくどい感じもした。もっと省略することが可能なのではないか。これは後に書くテンポや間のせいもあるだろうが。
 
 装置は洋館風の部屋。ホリゾントは使わない。中ほどから下手にかけてパネルで囲った、暖炉のある洋間。応接セット。暖炉はよくできているが、ソファに隠れて中が見えない。窓があるが、カーテンを引いたままである。これがパネルを切り取った所にレールを取り付けたという作りなので安っぽく見える。天井近くにカーテンボックスを設けて、もっと長いカーテンにするとそれらしく見えるのではないか。下手に直角に建てたパネルに袖からの出入りに使うドアが2つ並んでいる。1つは玄関につながる。
 中ほど奥に庭に出る両開きの扉。奥に庭木が見える。これはよくできている。上手に3畳ほどの座敷(床の間、違い棚付き)。電灯が吊ってあり夜の場面で点灯する。この座敷はちょっと小さすぎる感じで、なくても良かったのではないかと思う。
 
 パンフでは1時間半とあるが、1時間56分かかった。1時間半でも十分演じられただろうと思う。これは台詞と台詞の間が長いせいだろう。あれだけ間があくと流れが出来てこない。あとは役者の役作りが不十分な感じがした。皆止まったまま台詞だけ進行する部分もあった。演出が役者を兼ねたので、目がすみずみまで行き届かなかったのかもしれない。
 しかし、つまるところは稽古不足であろう。これは昨年の芝居でも感じたことだが、他に仕事を持つアマチュア劇団の宿命かも知れない。けれど、こういう状態が続くのは決して良いことではない。次回は既成台本になるのだろうから、早めに選んで稽古を積んで演技の質を上げてほしい。
 
 ご招待いただいてこんな批判的な事を書くのは大変心苦しいのですが、今の自分に観ることのできた限りの、偽らない感想ですのでご容赦ください。