夾竹桃

   学校の生徒通用門脇の夾竹桃 
 
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 植物に詳しい部員が名前を教えてくれた。(その部員もはじめは石楠花とか言っていたので、それはないだろうと言うと、調べたらしい)中庭に咲いていた白い花の名も、姫沙羅だと教えてくれた。
 
 
 今日は演劇の地区顧問会議と生徒理事会、生徒総会、生徒照明講習会があった。自分は外せない会議のため遅れて市民会館へ行った。最も大事なイベントは地区大会の上演順を決めること。希望を出して、かち合えばじゃんけんという決め方。顧問がいないところで生徒はラス前の上演10を決めてくれた。いいところである。
 新入生歓迎会という名の1年生に芸をさせる企画では、うちは去年同様、自己紹介のみ。
 照明講習会ではおもに1年生照明担当が市民会館の設備を見学。上手フロントのところにある調光室で、3段プリセットフェーダーの操作法を教わる。
 
 他校の出し物はどうなっているか探りを入れるが、もう決まった、探しつつあるなどさまざま。あと2ヶ月足らずで本番なのだが。うちはようやく22頁までの台本を印刷して部員に読ませる。最後の「幕」までで22頁だから、途中端折ってある。穴だらけの台本である。最初のプロット通り行きそうにないので、書ける場面から書いているのでつなぎができていない。まだまだキャスティングを考えるには遠い。
 
 
 
 話は全然変わるが、昔々読んだマンガを思い出す。望月三起也の、442部隊を題材にした戦記物だ。アメリカの日系人で編成された442部隊はヨーロッパ戦線で戦った。主人公の上官は、日系人だったか、アメリカ人だったか忘れたが、主人公らにひどい当たり方をして嫌われていた。ある戦闘でその上官が負傷し取り残された。ドイツ軍の車両が迫る。主人公が助けに行こうとする。戦友が、「よせ、あんな奴無理して助けることはない」と言うのに対して、「俺は行く。人間として当然のことをやるんだ」と言い放つと、主人公は手榴弾を持って走り出し、ドイツ軍の車両を爆破して上官を救出する。
 その時思ったのは、ドイツ軍は人間じゃないのか? ということだった。
 当時のテレビで見ていた『コンバット』だのなんだのの作品ではドイツ軍はやられキャラで、倒して当然の敵だった。だから、望月三起也がそう描いたからといって不思議ではない。
 悪役をも助けるという「人間として当然のこと」を成し遂げるために、敵という人間を殺すことの矛盾は、思考の埒外に置かれている。
 でも、望月三起也の描く日本人ガンマン、『ムサシ』なんか格好良かったな。メカも上手かったし。
 
 こんなことも思い出す。手塚治虫の『ゼロマン』。荒れ果てた地上で野菜を売る男。それを買おうとするゼロマン。男は途方もない値段を言う。いやなら買うなと言うその理屈。ものがなければ値は高騰し、ものを持つ売り手の言い値で買うほかないということを知った。経済の話? 戦後の世相を反映していたのだろう。戦後生まれの自分は体験していないが、手塚さんは身に沁みていたはずだ。
 
 自分はマンガ少年だった。でも家は貧乏であまり雑誌は買えなかった。月刊誌「少年」、「少年画報」、「日の丸」などがあった。そのうち少年週刊誌が「マガジン」と「サンデー」いっぺんに発刊された。30円くらいだったか。マンガ少年は自分でマンガを描き始め、肉筆回覧誌などというものにも加わる。やがて石森章太郎の「漫画家入門」に出会う。この本で、作品の作り方を初めて学んだ。(それまでにあった手塚さんのものなどとはちょっと違った入門書だった) 虫プロの「COM」を読み始め、「ぐらこん」にも参加。大学でもマンガ研究会を結成した。
 でも描き上げた作品はほんとに少なかった。小さい頃からお話を空想するのが好きで、コンクリートの地面に(何かの跡地)炭で落書きを延々としている子供だったが、お話をきれいに絵にする手間が面倒だったのだ。
 炭は雨が降ると流れて消えた。
 
 漫画『金魚屋古書店』を読んで思い出したことなどを書いてみました。