「ハルカカナタ ―鳥になった妻の物語―」 作、織江尚史 演出、高山満男
平成25年8月10日(土) 14:00 開演 15:50 終演 文翔館議場ホール
招待券にて観劇
旧県議会議事堂なので、演説会場のように、一方にステージのある細長い構造。互い違いに椅子を並べるが、どうしても前の人の頭が邪魔になって、舞台全体を見ることが出来ない。観客の年齢は大分高く、冷房は入っているが、さほど涼しくはないために、集中を切らす人も目立った。
客電の代わりに数本のパーライトで天井を照らしている。消灯しても窓のカーテンが遮光幕でないため、真っ暗闇にはならない。
照明は、ほぼすべて客席左右の通路からイントレで吊ったり、スタンドで立てた20本ほどの灯体で行っていたが、ステージ上のスポットも一部使っていた。
ステージ上は正面に幅1間、高さ2間ほどの白いパネル。表面に鳥の群れのような、草の実の集まりのような、瓦礫のようなものがレリーフ状に付いている。その左右は同じ高さの黒い布が垂らしてあり、パネルとの間から登退場する。ステージに上る階段などは黒布で覆ってある。
木製ベンチ、喫茶店風椅子テーブル、バス停標識などが暗転時に出し入れされる。
役者さんは4人(男女2名ずつ)。夫婦役のお二人は、「父と暮らせば」を何度か上演されていて、これが本家のこまつ座を凌ぐのではないかとの評判を聞いていた。確かにいい声で、しっかりした台詞でした。この作品のような会話劇では台詞がしっかり言えなければはじまらない。欲を言えばもう少し動的な演出が欲しかった気がする。
宮城県石乃森海岸(実在するのか?)に住む老夫妻。夫は童話を書こうとしているが、ついに一作も書き上げていない。軽い脳梗塞になったことで、妻を自宅に残し自ら老人ホームに入る。大震災の津波で家もろとも妻を失う夫。海沿いの家に、妻を助けに行かなければ。しかし、その手段はなかった。
その後、夫は海岸をさまよい、海からベンチを拾い上げて掃除したりしている。それを見る女。最初、記憶を失った妻かと思わせるが、次第にこれは妻の飼っていたカナリアであると見えてくる。
混乱した頭の中に非現実の妻が現れ、夫の書いた童話の一節を読み上げる。夫は現実の行方不明の妻を捜している、とともに無意識に自分の中に生きる妻を探しているのだ。最後に、自分の中に生きる妻を見出し、未来を生きる力を得る。
ざっと、そのような話だが、もう1人死者が登場する。台詞が詩的である。
妻がもとの妻になり、「あなたの中で生きる、あなたの痛みになってもあなたの中で生きる」と言うシーンは本当にぐっと来た。けれど全体的には、間のせいなのか、今ひとつ観客に訴えて来ないきらいがあった。大枠は大震災で縁者を失った人たちの、死者との対話という構図であるが、2年を経過した時点での取り上げ方としてはこういうメルヘン調を帯びた作品も成立するのだと思った。
110分という長さは少し辛かったか。
炎熱の1日、部活を午前中で切り上げて観劇。疲れがたまっていて、自分の顔の頬がこけている。明日は部活休みとなる。月曜日に学校祭会場のやまぎんホールでスタッフ打合せ。照明をコンピューター打ち込みにしたいが、今回はホリゾントを使うので難しいか。