ふと考えた

 津波で亡くなった方は2万数千人となる様子である。まことに悲惨なことである。
 ここで、スマトラ島沖地震津波による死者が22万人など、過去の災害の被災者数を数えてみることも考えたが、ふと別なことを考えてみた。
 
 それは米軍による本土空襲のことである。
 昭和19年から20年にかけての、米軍による無差別都市空襲(油脂焼夷弾の絨毯爆撃)によって亡くなった人は30万人近くになるという。
 東京大空襲では一晩で10万8千人、広島では被爆直後に2万5千人、昭和20年末までの4ヶ月間に14万人が亡くなり、長崎では同じく直後に1万5千人、年末まで7万4千人が亡くなったという。戦後も多くの方が白血病などで亡くなっている。
 たった一晩の計画的空襲で10万8千人が亡くなった。広島に炸裂した原子爆弾1発による直後の死者数が2万5千人…。今回の災害の死者数と並べると、あらためて恐るべき数字であることを思い知らされる。しかもこれは、自然の猛威の為せる業ではなく、人間の仕業の結果としての数である。
 今言いたいことは、都市への無差別空爆核兵器の使用は、間違いなく犯罪的な非人道的な行為であるということである。この二つに手を染めた国はアメリカだけである。
 
 自分は今、畑澤聖悟氏の「私たちはサルではありません」を思い起こしている。だからこの文章は高校演劇に関するものだと思って読んでいただきたい。ただ、やや感情的、独断的になっていますのでご了承ください。
 
 当時、原爆や都市空襲に関わったアメリカ人、あるいはそのことを知っているアメリカの人々は、心の底で、いつの日かアメリカの都市が無差別空襲を受け、核兵器に打たれる悪夢を拭い去ることができないのだ。だから常に自分の正当性を主張していなければならない。決して謝罪してはならない。戦勝国に対しては戦争犯罪を罰する立場の人(国)がいないために、彼らは永遠に裁かれることはない。彼らは「正義」であり、死ぬまで罰せられる(罰はある意味では救いになるだろう)ことはなく、懺悔する機会も与えられず、罪の意識を魂の奥深くに抱えて生きなければならないのだ。
 これは、日本人が戦争の責めを受け、半永久的に謝罪しながら生きていかなければならないのとは対照的だが、ある意味では、精神の深みにおいては同等以上の苦しみなのかも知れない。
 
 「私たちはサルではありません」において日本人女子高校生とアメリカの高校生が対峙する時、原爆投下については加害者と被害者という立場が成立しないことがあらわになる。加害者は強力な論拠によって自分を正当化し、被害者は何の弁護も許されずに自分の過ちを認め、自分を責めなければならない…。それは、一段上の「人間」の視点から見たときに、正しいのか正しくないのか。どうすれば加害者が被害者に謝罪し、被害者が加害者を赦せるのか。これはおそらく、畑澤氏の「イノセント・ピープル」が(この劇は観ていないので、見当違いかもしれませんが)描こうとしたことの一つなのではないか。
 「親の顔が見たい」と「とも子とサマーキャンプ」の関係のように、「イノセント・ピープル」の高校演劇版が「私たちはサルではありません」なのだろうが、とすればこれは60分の高校演劇では支えきれない大きすぎるテーマではなかったか。さらに「私たちはサルではありません」にはもっと多くのことが書かれ、人類史にまで拡散しかねない脚本だったので、観客(高校生)が追いつけるようなものではなかった。高校生は、ただただ圧倒されるしかなかった。大人の観客は、感嘆しつつも一方では過剰なメッセージ性を感じていたのではないだろうか。演じた生徒たちにも大変な負担があったと思われるが、よく頑張った。
 
 やっと、東北大会での青森中央高校の上演に対する感想が書けたような気がする。そのきっかけがこの度の大災害だったとは…。自分はこの作品に込められた作者の思いを受けとめるのに3ヶ月の時間と、大災害の体験を必要としたのだ。(全くの独断に過ぎないかも知れないが。)