雑感 2021年2月6日 鬼桃太郎 叔母の葬儀

 青空文庫尾崎紅葉作の『鬼桃太郎』(1891(明治24)年に博文館から幼年文学叢書の一つとして刊行されたもの)を読んだ。絵草紙風で、文字は活字で版木に彫ったわけではないだろうが、挿絵が恐ろしい。桃太郎に財宝を略奪された鬼が島の王は、復讐を企て勇者を募集する。かつて王宮の門番だった鬼の爺婆が、日本の桃太郎に倣って川から大きな苦桃を拾ってくる。切ってみると中から屈強な鬼の若者が出てくる。すぐに王の前に行き、桃太郎退治に行くことになるが、金棒と髑髏を与えられて出発する。やがて黒い毒竜が飛んできて、日本で桃太郎らに殺されている蛇たちのために仲間になりたいというので、髑髏を与えて家来にする。さらに毒竜は日本の桃太郎に倣って犬・猿・雉に相当するよう、大狒狒と大狼を呼んだ。こうして鬼桃太郎たちは雲に乗り日本を目指す。

 いやもう凄い迫力で、これは「怪獣大戦争」か「ゴジラ対メカゴジラ」になるだろう。さすがの桃太郎も彼らにはかなわないのではと心配するほどである。

 ところが、鬼たちの乗った雲はうまく日本に到達できず、海の上を行ったり来たり。さすがの雲も薄れ千切れて、狒狒と狼は穴から海に落下しワニの餌食になってしまう。怒った鬼桃太郎は毒竜と喧嘩になり、竜は四つに引き千切られてしまうが、鬼も

足場あしばうしなひ、小石こいしごとく眞一文字まいちもんじ舞下まひさがりて、漫々まん/\たる大海だいかいへぼかん!

 

 「なんじゃそれは」という結末だが、「人間桃太郎」対「鬼桃太郎」の激戦を期待しただろう子供たちも、だまされた気分になったかもしれない。悪党は仲間割れして自滅するという教訓なのだろうが。

 

 鬼の側から見た桃太郎のお話。桃太郎を加害者・侵略者、鬼を被害者と見る立場には、人間と鬼を同等に置く考えがあるのだろうが、勧善懲悪の世界にはそんな平等・公平性は無い。(高畠町出身の浜田広介『泣いた赤鬼』1933、は異色)

 当時の子供たちは、鬼桃太郎が(海に落ちずに)日本にやってきたら、どうしようと考えただろう? あなただったらどうしますか? 

 

 

 

 

 叔母の葬儀があった。

 今年95歳になるので数えで96歳となっている。自分の父の妹に当たる人で、末子である。1926(大正15)年の生まれで、長く専売公社に勤めてタバコの製造や事務にあたっていた。自宅は円応寺町だったので、歩いて今のヤマコービルの場所にあった専売公社に通った。北から南へ真っ直ぐの道だが、途中に第一高等女学校・女子師範学校があり、行き止まりだった。そこから細い道をくねくね通って駅前の通りに出ると専売公社だったと言っていた。今、市民会館の東側にある道は、終戦直前に空襲に備えて女学校の校地を横切って通したものである。

 仕事は定年前にやめていたと思うが、其の後は詩吟などの趣味にうちこんでいた。

 最近は、足が不自由なこともあって、よく転んでは骨折するので、施設に入所して個室で暮らしていたが、この疫病流行のため、一度しか挨拶に行けなかった。今、病院・施設は外部からの感染を非常に警戒していて面会はできないのだ。

 聞けば、癌を患っていたということであるが、本人には告知していなかったそうだ。

 

 通夜も葬儀もセレモニーホールで行われたが、皆マスク姿。消毒液とアクリルのパネル。席は密を避け、お茶も会食も一切無し。お包みをいただいて帰るばかりだった。

 なんというご時世か!

 遺影は先に亡くなった夫と同じ時に並んで撮影したもので、遺影となってもお二人は寄り添ってこちらを見ることになる。