劇団山形第79回(創立五十周年記念)公演

 平成27年11月21日(土) 14:00開演 16:52終演 途中休憩(10分間)あり  2幕5場
 山形市中央公民館(アズ七日町6階)ホール  入場数、いっぱい。開場前から長蛇の列。
 「闇に咲く花-愛敬稲荷神社物語-」 作、井上ひさし  演出、平野礼子

 上演時間2時間40分を超える長編作品。本家のこまつ座が上演しても、同じくらいかかる。

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 圧倒的な舞台美術。自前の稽古場(作業場、倉庫)を持つ強みが発揮されている。
 舞台中央やや上手寄りに間口2間半ほどの神楽堂が屋根付きで建っている。
 ベタ置きの平台の土台の上に短い足を何本も立て平台で神楽堂の床を作る。神楽堂の床面は1間半四方ほどか。四方の柱上に入母屋の屋根がある。これも間口2間半程か。前の柱に乗っているようだが、バトンからワイヤーで吊ってある。鈴と紅白の紐が下がっている。前の部分しか無いのだろう、サスの明かりは入っているようだった。両脇は壁ないし板戸になっているようで、奥は壁。白い布が下がり、鏡と幣が置かれている。正面に賽銭箱。神楽堂の後ろは全面板壁になっている。その板壁の上手奥に杉の木が5本ほど見える。
 上手に白狐の像、倒れた赤い鳥居など。その奥から出入りする。下手にお面工場。5人の女達が作業する。いくつかのお面が、渡した紐に下げて干してある。下手袖際で一人のギター弾きが演奏する(場転の際などはマイクで拾う)。下手客席から階段を上って舞台に登場する。神社まで上ってくるという設定。
 背景は多くの場合ホリゾントを全面使用。昼の雲、夕焼けの雲などを投影。夜は星球。大黒幕を使うときもあった。このホールは暗転中も比較的明るいが、幕間は暗転幕を下ろしたっけかな?
 衣装は、神主の水色の袴とか、巡査の制服(拳銃や警棒まで本物のようだった)とか、きちんとできている。それらに比べると、子守の少女の服装と背中の赤ん坊がちょっと何だかなァだった。女性陣のもんぺは、薄っぺらく、大きい感じで少し違和感があったがあんなものなのか。
 音響は効果音だけで、音楽は生ギターが一手引き受け。舞台中にも仕込みのスピーカーがあるようだった。欲を言えばもう少し音響面からの演出があっても良かったか。

 芝居の内容は、以前にこまつ座の上演を観た際に書いたので省略するが、自分の感想を言えば、各国で行われたB・C級戦犯の裁判で、報復的判決を受けた多くの旧軍将兵を忘れないこと。都市空爆という非人道の極み。神社の境内を焼き場にせざるをえないほどの殺戮と破壊。しかし、敗戦は日本人に反省と懺悔、自己否定を強いた、「忘れちゃだめだ、忘れたふりはなおいけない」と。やはり、当時の日本人は、(軍国主義者の起こした戦争による)被害者であり(アジアの人々への)加害者であるという、二重の意識が刷り込まれたようだ。牛木公麿は息子の刑死をどう受け止め、納得したのか…。健太郎磔刑のイエスなのか? 我々の罪を背負って逝ったのか?
 自分は井上ひさしの芝居が大好きだが、ある傾向には同調できない部分もあるようだ。

 劇団山形初めての井上ひさし作品。これまで上演されなかったのは、たぶん、リアリズム演劇に徹してきた劇団にとっては、少し勝手の違った作者だからなのではなかったか。井上作品では、舞台上の会話は会話であって同時に思想信条のぶつかり合いである。作者の中で激烈な思考・感情の渦巻きが起き、その結果吐き出されたもののように感じられる。その意味で、井上作品は演出と役者達にとっては慣れない部分があったかもしれない(誤解・偏見かも知れません)。
 しかし、キャスティングは適切だった。いつもの役者ではあるが、役柄でまるで違って見える。
 牛木健太郎の友人稲垣役の志鎌さんは高校生時代から研究熱心であったが、いよいよ上手く、熱演でした(彼は「ゆうたっちょの中学生絵日記」のあのメガネの女の子だった)。
 GHQの協力者諏訪三郎役の片山さんは、「くちづけ」でうーやんを演じた。「劇団山形五十年史」によれば、彼が小学生のころ近所に知的障害のお兄ちゃんがいて、よく一緒に遊んだとのこと。あのリアリティーはそういう体験に裏打ちされていたのだ。そのお兄ちゃんは、「くちづけ」のマコと同じく、実の親の手で亡くなったと。
 牛木父子の五十嵐さんと神保さんは好演だった。公麿の年齢を演じるのは少しきつかったかも知れないし、記憶喪失を繰り返すという無茶な設定は困難だったかもしれないが。神事の作法、祝詞などは、神社で取材した成果だろう、とても良くできていた。
 役者達の堅実な演技に支えられ、演出はしっかりしていた。ほんの少し、台詞が客席に浸透しない時があったように感じたが、自分の集中力の問題であろう。
 総じて、50年間累積された力を十分に発揮した舞台だったと思う。ここまで継続された松井先生はじめ劇団員の方々に心から敬意を表します。お疲れさまでした。