戦後70年山形市平和劇場第30回記念公演

 『涙の影に生きて』 作、池田はじめ  演出、阿部秀而
 市民会館大ホール 夜7:05開演、8:33終演。
 昼の部は680人、夜の部は400人弱の入場数だそうで、合計1000人程度になるそうだ。
 招待券で入場。

イメージ 1

 舞台はいつもの巨大な半円形背景パネル。そのお椀のような空間(ホリゾント)に様々な照明効果(スパイラルなど)が映し出される。パネルの下に2尺ほどの高さの土手。一面黒地がすりである。その前に平台3段の階段状の台。下段の巾は5間くらい。その上に4個ずつの腰掛けが上中下に並んでいる。中は一段低い。上下の袖側に平台1段分の高さ。その上と下に4客ずつの木の椅子。昔の小学校の椅子のような形。これで28人が座れるが、出演者は30数名。
 上下の椅子には黒い服の女性たちが台本を持って座り、時々立って朗読する。中央の空間で少しの演技がなされる。

 内容は、前回までの平和劇場でポスターなどの美術を担当していた神保亮氏の満洲からの引揚げ体験をもとにしている。氏は今年1月に77歳で亡くなられている。
 8月9日に始まるソ連軍と匪賊からの逃避行。安東からの最後の列車は、日本軍の弾薬庫爆破に巻きこまれ立ち往生。牡丹江まで徒歩で2ヶ月かけてたどり着くが、すでにソ連軍が来ており、哈爾浜に戻される。収容所での苛酷な生活(食事も暖房も医薬品も不足)の間に弟妹と死別する。
 知人は終戦間際に応召し、残された妻子は逃避行の間に匪賊の襲撃を受け自決する。知人はシベリヤ抑留から故郷にもどって初めて妻子の死を知る。
 平成24年、亮を探し当てた知人は、安東から持ち帰った亮の愛読書の画集を手渡す。
 この最後のシーンは、『トミーが3歳になった日』を思い起こさせた。

 21回目の自主公演。参加希望者を全員舞台に上げるという方針で貫いている。この継続する力には敬服する。
 お疲れさまでした。




















 以下、個人的な好みからの偏った感想ですので、そのおつもりで読み捨ててください。


 終演後の挨拶で、女性司会者?が「戦争の悲惨さが伝わりましたでしょうか」と言っていた。
 それがこの劇の目的だとすれば、自分にはあまり伝わらなかった。ほとんど心動かなかった。
 抑留体験、引揚げ体験、空襲体験などについていろいろ聞いたり読んだりしている者にとっては、特に目新しい「悲惨な」事実はなく、これまでの知識を表面的になぞったようなものであった。
 「悲惨さ」で伝えるべきは出来事ではなく、感情だろう。その体験をした人の感情に迫らなければならない。そのためには、まず脚本段階で、ナレーションと台詞の違いを明確にした方が良い。台詞が時々小説的になり、自分の内面を解説してしまうような部分があったと感じる。
 友人を亡くし、弟妹を亡くした少年の感情はどんなであったろうか。「死んじゃダメだ、生きなきゃダメだ」と言っているこの、元気な明るい?少年が、その時いったいどんな気持ちだったのか、自分には伝わらなかった。亮が老境になって述懐していたような心境(弟妹にすまない)であったのなら、そういう描写、表現があってしかるべきではないか。
 朗読の仕方については、もう長年のパターンが出来ていて、朗誦しているという感じだった。テンポが緩いということも、切迫感に欠け、悲惨さを伝えにくくしている。
 あとは毎度言っている気がするが、舞台が広すぎて芝居が拡散していると思う。

 以上、全く独断勝手な感想です。もし何か差し障りがありましたらお詫びいたします。