昨日桜がほころび始めたが今日は雨だ

 昨日、快晴で暖かかったので職場の桜も一部がほころんだ。

 夜には皆既月食が見られた。ただし肝心の9時ころには白い雲がかかって、雲で見えないのか月食で見えないのかわからないという具合だった。その前後の赤くなった月の一部の縁だけが明るい様子は見られた。 

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 以下、長い記述になります。読まない方が良いと思います。





 いわゆる従軍慰安婦問題に関していろいろ見ていると、「そもそも日本の裁判所が強制連行の事実を認めている」という説明に行き当たる。
 韓国・中国などで慰安婦だったという女性たちが日本に対して賠償請求訴訟を起こし、地裁・高裁でその「事実認定」が為されているということだ。ただし、最高裁ではいずれも棄却されている。
 ただ、最高裁では原則として事実認定を行わないので、「高裁段階での事実認定が歴史的証拠として残る」という主張である。
 吉田清治千田夏光の著述がフィクションであり、それに基づいての報道などは虚偽だったとしても、これらの裁判での事実認定がある限り、強制連行の事実からは逃れられないというわけである。

 たとえば、かもがわブックレット『司法が認定した日本軍「慰安婦 被害・加害事実は消せない!』を読むと、それぞれの判決で、「被害者」の悲惨な状況の証言、裁判官の事実認定も載せられている。長いが引用させて頂くと、

 引用開始

 「控訴人らと被告訴人との間において争いがない事実に証拠及び弁論の全趣旨を併せると次の事実が認められる」(韓国遺族会裁判東京高裁判決2003年7月)

 「反証は全くないものの、高齢のためか、慰安婦原告らの陳述書やその本人尋問の結果によっても、同原告らが慰安婦とされた経緯や慰安所の実態等については、なお明瞭かつ詳細な事実の確定が殆ど不可能な証拠状態にあるため、ここではひとまず証拠の内容を摘記した上、末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定することとする。」
 「① 前記(一)ないし(三)のとおり、慰安婦原告らが慰安婦とされた経緯は、必ずしも判然としておらず、慰安所の主人等についても人物を特定するに足りる材料に乏しい。また、慰安所の所在地も上海近辺、台湾という以上に出ないし、慰安所の設置、管理のあり方、肝心の旧軍隊の関わりようが明瞭でなく、部隊名すら分からない。
 しかしながら、慰安婦原告らがいずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかったことに加えて、現在、同原告らがいずれも高齢に達していることをも考慮すると、その陳述や供述内容が断片的であり、視野の狭い、極く身近な事柄に限られてくるのもいたしかたないというべきであって、その具体性の乏しさのゆえに、同原告らの陳述や供述の信用性が傷つくものではない。かえって、前記(一)ないし(三)のとおり、慰安婦原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
 ② そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らないまま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこと、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和二〇年八月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係については、ほぼ間違いのない事実と認められる。」(関釜裁判山口地裁下関支部判決1998年4月)

 引用終了

 ここで「争いのない事実」とは、平成5(1993)年8月に内閣官房内閣外政審議室から出された「いわゆる従軍慰安婦問題について」に書かれた内容を指すと思われる。慰安所の経営・管理、慰安婦の募集・輸送に日本軍が関与したとするものである。(この発表と同時に「河野談話」が出されたのである。)
 判決文を読んで、どのように感じたか? いたって不明瞭な陳述・供述がかえって信用性を持つとする判断は、自分の経験からすると奇妙に感じられた。これが「事実認定」?
 自分は法律や裁判には全く疎い者だが、webで少し検索してみた。
 損害賠償請求など民事訴訟では、刑事訴訟と違って厳密な証拠による事実認定は必要ではないのだ。
 以下引用(民事訴訟講義ノート2014、平成国際大学教授入稲福智氏のHPから)

7. 事実認定
 自らの権利を実現するため、原告は、自らの権利の発生に必要な事実(主要事実)を主張し、また、相手方当事者が争うときは、証明しなければならない。当事者が提出した証拠に基づき、裁判官はこの事実の存否について判断しなければならないが、これを 事実認定 と呼ぶ。
 (1) 自由心証主義
 事実認定にあたり、裁判所は、証拠調べの結果だけではなく、審理に現れた全ての資料(証拠資料)や状況を自由に評価することができる。これを 自由心証主義 と呼ぶ(第247条)。
→ これに対し、証拠方法の種類やその証明力について、法律によって裁判官の判断を拘束する立場を 法定証拠主義 という。この原則によれば、裁判官の恣意を排除することができるが、画一的な証拠法則は社会関係の複雑化に対応しえず、真実発見が妨げられる(おそれがある)こと、また、裁判官の質の向上に基づき、現在は、自由心証主義 が採用されている。
 「自由」心証主義の下でも、裁判官の恣意的な判断は許されず、事実の推定は、論理的法則や 経験則 に基づいていなければならない。
(2) 口頭弁論の全趣旨
 第247条は、 「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」と定めるが、口頭弁論の全趣旨 とは、口頭弁論に現れた一切の資料から証拠調べの結果(証拠資料)を除いたものである。
(例) 当事者や代理人の弁論内容・態度、攻撃防御方法の提出時期
  これらの点を考慮し、裁判官は、当事者の主張が真実かどうか判断することができる。
 通常、口頭弁論の全趣旨は、証拠調べの結果を補充するものとして用いられるが、裁判官がそれのみで心証を形成しうるときは、証拠調べを行わなくてもよい。
(3) 証拠能力と証明力
 裁判官が、ある証拠資料を事実認定に用いることができる場合、その証拠資料は 証拠能力 を有するという。自由心証主義の下、証拠能力は一般に制限されない。
→刑事訴訟とは異なり、伝聞証言や児童の証言であれ、証拠能力が認められる。
 ただし、これらの証拠資料がどの程度、事実の証明に役立か(証明力)は、裁判官の自由な心証に委ねられている。
 違法に収集された証拠(違法収集証拠)
 著しく反社会的な手段を用い、人格権を侵害する方法によって収集された証拠は、その収集行為自体が違法であり、証拠能力が否定される。

 引用終了

 裁判官の「自由な心証」によって証拠が取捨され、あいまいな証言にも証拠能力が付されるということである。
 一見無茶苦茶な感じだが、たとえば、密室で教授に強姦されたと訴えた女子学生の場合など、確実な証拠といっても無理な話で、「心証」によって判決を下すことになるのだろう。いじめや暴力で子どもが死んだら、刑事事件では有罪に出来なくても、民事で賠償請求を勝ち取る事が出来るのもこういう「自由な心証」のおかげなのかもしれない。だから一概に全否定はできない。
 この「証拠」がもともと事実でなかったと後に判明したり、その解釈について誤りがあったとしても、裁判官は責められないらしい。判決が先で、そのためにスジ良く証拠をあげるという感じだ。
 いやはや、あらためて裁判とは恐ろしいものだと思う。

 しかし、これらの判決の「事実認定」によって、日本が「従軍慰安婦の強制連行」を事実として認めたとするのはどうだろう。ものすごく、なじまない感じがする。

 自由な心証のために別の引用をしてみよう。

 引用開始(桜の花出版「朝鮮總督府官吏最後の証言」より、旧朝鮮總督府江原道行政官西川清氏、一部省略)

 「私が郡の内務課長をやっていたから、有り得ないと分かるのです。もし、道庁の一部の事務しかしていなかったら、売春婦を強制連行したとかしなかったとか分かりません。しかし、私が郡の内務課長をしていたから、日本の官吏(朝鮮人の官吏も合わせて)が、売春婦を集めて、軍に送ったとか、強制的に連行していったということは「ない」と、自信をもって言えるのです。
 行政組織というのは、今でもそうですが融通が利かない縦社会です。徴用では郡で十人集めることにも總督府は苦労し、私は地域の有力者である三長官(面長・校長・駐在所主任、引用者注)に協力をお願いしたほどです。
 そして、軍隊が、そういうことをしていなかったということも分かります。統制の取れた戦前の厳しい組織で、戦場ではない日常の朝鮮で、しかも官吏や警察に多くの朝鮮人がいる中で、勝手に連れて行こうと思っても不可能なのです。
 終戦直後は他にもこういったことを知っている人々は日韓両国にいたはずですが、今となっては、おそらく当時の状況を官吏の仕事を通じて把握しているのは、私一人くらいしかいないのではないかと思います。」
 「朝鮮の売春について、もう少し解説をします。当時の売春宿として、「スルチビ」「カルボチビ」というのがありました。こういうものは軍隊が行くところは商売になりますから直ぐに集まってきます。
 「スルチビ」というのは居酒屋さんで、朝鮮のマッカリというお酒や、日本酒を売っていて、お酒を飲ませるのが主です。しかし、女の子も一人か二人いて、その子が売春をするということもありました。「カルボチビ」というのは、日本でいうところの、売春を目的とした宿屋といったところです。泊まることもできる、いわゆる売春宿です。こういう場所は、朝鮮の田舎でも、役場があるような大きさの村であればどこにでもありました。どちらも朝鮮人が経営していて、私も「スルチビ」にはお酒を飲みに行きました。
 朝鮮でも親が子供を売ったということはありました。当時、貧しさから親が自分の子供を本人にはそうと知らせず、売ってしまったこともあるでしょう。また、女衒(ぜげん)という身売りを職業としている人がいて、こういう女衒が女性を甘い言葉で騙したこともあったでしょう。
 女衒というのが今の人には分からないと思いますが、日本にもいた売春婦の世話をして生活していた人達です。親から娘を買って、「スルチビ」「カルボチビ」に売ったりする人達です。女衒は朝鮮人がやっていました。朝鮮人の娘を集めるわけですから、どこに娘がいて、どこに売るかとなれば、朝鮮人でなければ出来ません。日本人がいきなり行って、言葉も土地もよく知らぬままではできないのです。
 「スルチビ」や、「カルボチビ」といった所に売られた女性が、女衒によって南の地方や満州に連れていかれたということはあったと思います。しかし、それは朝鮮人の民間人がやったことです。
 朝鮮軍司令部は、女性がどこにいるのかなど分かりませんから、もしも、集めようなどということがあったら、徴用のように道→郡、郡→面へと集めてほしいという依頼があったはずですが、そんなことはありませんでした。
 もしそんなことを公的機関がしていたら、絶対に文書で残っているはずです。日本の組織は文書で命令が下りてくるのです。そんなものは、見たことも聞いたこともありません。もし、個人が無理にやったら巡査も憲兵もいるのですから、捕まります。道の役所や警察にも朝鮮人がたくさんいるし、知事や私の上司の多くは朝鮮人でした。」

 引用終了

 今、「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の戦い」(朝日新聞出版、朴裕河)を読んでいるが、おおよそ、この旧内務課長の証言通りであったことが分かるだろう。

 日本における司法判断を強制連行の拠り所の一つとする人達(日本人)も、すでに朝鮮半島ではそういった事実はなかったと認め、中国山西省海南島での被害者についての事実を根拠としているようである。
 それらの裁判での証言では、明らかに日本人、日本軍兵士、日本軍への地元住民協力者(清郷隊)が銃剣、暴力で拉致したことになっている。
 一部引用してみる

 引用開始(前掲のブックレットより、山西省裁判 東京地裁判決2003年4月 一部省略)

 「南(原告の南二僕、引用者注)は、一九四二年春ころ、既に孟県山河村在住の男性と結婚していたが、夫婦仲が悪く、河東村の西隣に位置する南頭村の実家に戻っていた際に被害に遭った。すなわち、、同年春ころ、河東村に駐屯していた旧日本軍が南頭村に作戦行動を実施し、その際、「バカ隊長」と呼ばれていた「ドゥービェン」という下士官(以下「乙下士官」、という)が五、六人の日本兵を連れて南の実家に押し入り、南の母を殴ったり、蹴ったりして、庭に追い出し、乙下士官がその場で南を強姦した。さらに、母と農作業から帰ってきた父を殴って、南を羊馬山の麓にあった警備隊の砲台近くの民家に拉致し、軟禁した。南はその後、数ヶ月にわたり、その建物又は河東砲台に連行されて、乙下士官に専属的に強姦され続けた。
 両親が七〇〇銀元もの大金を用意して旧日本軍に提供したが、南は解放されなかった。一度逃げようとしたことはあったが、纏足で走れないため、捕らえられ連れ戻されてしまった。
 最初に拉致されてから約一年半後、南は、乙士官が異動により河東村を去ったため、この機に逃げようとしたが、「ミャオジ」という後任の下士官(以下「丙下士官」という)に捕まってしまい、二、三か月にわたり強姦され続け、また、夜は砲台に連行されて複数の日本兵に殴る蹴るの暴行を受け強姦された。」

 引用終了

 昭和15(1940)年、山西省における、中国共産党八路軍)のいわゆる「百団大戦」後に起きたことである。数にまさる八路軍が、珍しく日本軍に攻勢をかけた戦いだ。双方かなりの損害だったらしいが、日本軍が反撃、厳しく掃討したため、八路軍は逆に弱体化したという、戦略的には失敗の作戦。
 拉致強姦被害も、共産党摘発との関連で語られているようだ。
 下士官といえば軍曹とか曹長だろうに、当時の陸軍でこんなことしている暇があったのか?
 証言にある人名が日本人らしからず、あるいは全く逆の立場の者が加害者なのかも知れないと思わせてしまうが、裁判官の自由な心証ではそう感じないのだろう。