続々「トシドンの放課後」一つの演出

 自分は20年以上高校演劇に関わっているが、副顧問(第3顧問)としてブロック大会に2回、全国大会に1回出た(連れて行ったもらった)他は、自分が正顧問として持った部は県大会優秀賞が2回という成績しかない。だからここに書いていることも、そういう意味ではあまり参考にならないと思って読んでいただいた方が良い。念のため。
 
 さて「トシドンの放課後」だが、少人数の部が演じることが多いだろう。3人で出来るのだから。女子校でも可能だ。(本校がそうだ。あの写真の平野は女子生徒なんです。分かりましたか?)人が少ないということはキャストに適した人材が揃わないということでもある。その場合、どうしても茜と平野を重視し、先生は残りの人になってしまいがちではないか。しかし、先生の爆発がなければ、茜の爆発、トシドンの説教が生きてこない。そこに一山あるからこそ、ラストのクライマックスが大きくなるのだと思う。先生の爆発は後ろで聞いている平野に腹痛を起こさせる程の影響力を持っている。それが十分に表されることが大切だ。そこが不発だと後半の山が小さくなる。
 本校の練習上演では先生を2年生が、平野と茜を1年生が演じた。(といっても2月のことで、ほぼ3年と2年だが。)
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 鹿児島県甑島のトシドンは、細長いとがった鼻をしていて、夜、屏や壁を叩き音を立てながらやってくるという。縁先から首だけ出してのぞき込み、子供が素直に言うことをきくと、子供を呼んで丸い餅を背負わせてくれる。子供はそれを背負ったまま這い這いして親の所に帰る。
 ラストで茜がトシドンの面をつけた時、背中を向けて独りになっている平野を振り向かせるのに、この屏や壁を叩くという行為が活かせる。茜が衝立や机を叩いたり蹴ったり、床を踏みならしたりして平野の注意をひくのだ。
 
 さて、「トシドンの放課後」について延々と書いてしまったが、こんなのは理詰めの演出で、もっと大事なことがあるとお思いの方も多いでしょう。私も同感です。ただ、今ここに書けるものとしてはこんな部分しかなかったということです。また、高校生に演じさせるには形から入るのが早いし(もちろん内面の感情が伴わなければ空疎に過ぎませんが)、観客の目に分かり易いのも第一番に形なのだと思う。だからこそ装置や照明が重要であり、役者の舞台上での動線がしっかり作られていることが大事だと思う。だから演技プランと同時に装置や照明のプランが出来ていなければならない。(もちろん完璧になんて無理ですけど。)
 
 これで「トシドンの放課後」についてはおしまい。