台風の一日だった

 地区大会をなんとかクリアし、来月の県大会でもう一度上演する事が出来る。ほっとするが、下から数えた方が早い得票数なので、なんとも心細い。講師や顧問の先生方からいろいろとアドバイス、感想をお聞きする(が、顧問は頑固じじいなのであまり素直に従うとは思えない。すみません)。
 役者の声が細くて(音圧がないというか)台詞が聞こえないのは承知の上だが、やはり大きな難点ではある。照明も、紗幕の効果が十分に出せていないし、ホログラムの場面での照明で前明かりが落ちると暗くて表情がよく見えない、というマイナスもある。分かってはいることだが、学校祭から手直ししきれないでいたのだ。これから中間テストで10日くらい休みが入るので、結局、あまり修正にかけられる時間はない。
 脚本は、書き上げてからほとんど変えていない。ごく一部の台詞を変えただけであるが、少しカットしてもいいかもしれない。時間は59分を切っているのだが、2人で話している場面が(聞こえないということもあり)眠くなるのだ。SFの世界を説明するのに台詞を使いすぎているのだろうが、上手く削れない。ほぼこのまま県大会かなあ…。
 
 高校演劇部は2年ほどの在籍期間に数本の芝居に出るだけで終わる。もちろん、年間数十回の公演をする学校もあるがそれは例外的である。毎年部員が入れ替わるのでレベルやカラーを維持するのは本当に難しい。2年生が少なくて1年生が多いという場合は経験者不足で、困難の度合いが高い。
 
 
 他校さんの上演はすべて観劇。群を抜いて感動するような作品はなく、結構レベルの差が縮まっている感じだ。中央高さんが久しぶりに県大会。多少の時間オーバーがあったが、常識的範囲内ということで認められる。出し物は「トシドンの放課後」である。
 この作品は、普通にやると65分はかかってしまう。もう1校、北高さんも「トシドンの放課後」で、平野役は女の子が演じた。両校に共通して言えることは、相談室の設定が広すぎること。広さは時間を無駄にのばす。袖から出て来て引き戸を開けるという動きがすでに無駄である。その部分に明かりがないというのもどうか。もう一校は出入り口の戸がなく、パネルの間から出入りするがこれもいけない。
 そして机が複数あって、入り口側の机に平野が座り、奥の机にあかねが座る。これは逆なのではないか。1年間?平野が「安住」した空間としての設定がない。正面の壁に窓がある装置も、たとえ磨りガラスであっても(人が通るのは分かるから)、平野の安住を妨げるのではないか。
 また、教師と衝突し野口から別れを告げられ悲嘆するあかねが、平野によって救われる。その段階が十分に表現されないので、最後のあかねの行動の意味づけが弱くなり、もう一段高いカタルシスに向かわない。4年前に数校の部員の前でうちの生徒が上演して、さらに演出の練習を試みたこともあったが、なかなか理解は広がらない。継続して毎年トシドンで練習するような試みをすればいいのかもしれない(半ば本気)。
 
 「月を密かに見下ろして」は、明新館時代に山商さんと合同で公演した懐かしい作品。登場人物の意識(記憶)の中の世界が現出するという非現実的な設定だが、男子生徒のぶつかり合いもある(今回はもっと葛藤してもいいのではと思った)。骨髄移植の適合の問題と家族愛の問題。複雑な問題を抱えて悩む部長を救う部員たち。
 床に窓があり、そこから夜空が見えるという設定なのだが、洞窟の場面ですでに窓のセットが舞台に出ているのはどうか。あまりに大きく作りすぎて出し入れができなかったのか? 自分たちの時は本当に窓枠だけの大きさで出し入れしたと思う(客席から見えるように若干斜めにはしたはず)。
 
 生徒創作。作品の世界観をいかにリアルに表現するか。講師の評にもあったが、観客にいくつも疑問を持たせてしまうのはマイナス。一般的に高校生の創作は観念的になりがちであり、知識の不足から広がりに乏しいことが多い。たくさんの具体的事実とか古典に補強的材料を求めることも必要ではないか。作者は大変な読書家だと聞いたので、それをもっと生かせばよいのではないか。