野郎版トシドン

 明日は卒業式。予行があった。その前の授業、終わる頃に学年の先生方が最終授業だからと教室に入ってきて、終わると生徒がお礼の言葉を述べて花をくれた。
 再任用で来年度もどこかでまた授業をするはずなので、ほんとに最後だという意識がなく、サプライズだった。でも、もし二度と授業がないとしたらと考えると、自分は何をするのだろうと一瞬途方に暮れた。
 
 「村の渡しの船頭さんは、今年六十のおじいさん、やれギッチラギッチラギッチラコ」という歌詞が浮かんでくるが、自分もおじいさんなのか。リタイアの年齢とは実感できない。船頭さんも現役だろうし。
 
 まだ4月以降に連続することをやっている。遊学館やアズに行って、使用申請だの助成金の実績報告だのをするし、次の定演の準備もしている。
 定演では、M.エンデの『サーカス物語』をやりたいので、日本での演劇化権を持つ岩波書店を通じてドイツのAVAという原著作権を持つ所に許諾を求めているが、まだ答えが来ていない。この作品は意外に多くの高校で上演されているようなので、上演すること自体はそう難しくはないのではないか。
 
  庄内地区の某高校で愛好会を作られた先生から、男子だけの『トシドンの放課後』のDVDを送っていただいた。男だけでトシドン!? しかしこれが(予想に反して)面白かった。森田アカネがリョウヘイという名前の茶髪の男の子で相手が野口なんとかという女の子だ。先生も男性。原作を知っていると、微妙に女言葉が残っているのが分かるけれど、知らなかったら違和感なく観られるだろう。
 森田役の子が達者で、前半はこの子が芝居を主導する感じ。次第に平野ツヨシのペースになっていく。この子は訥々とした台詞だが、気持ちが平野という役柄に強く同調しているのが分かる。
 森田が恋人を失って悲嘆するところは、男でもありかと思えた。が、ここで打ちひしがれた森田を平野が支えるあたりから少し苦しくなったか。森田がもう一歩演じきれなかったし、やはり男女だからこそ、この先の展開があるのだろう。男だったら、トシドンの面をかぶって説教するかなあ。そのへんで、「ありがとう」という平野の心境も今ひとつストンと落ちなかったかもしれない。でもおもしろかった。
 
 途中、森田が、平野の流したままのCDを消そうとして、聞き入ってしまう所などはいい演出だった。
 総じて音響で進めることが目立った。携帯の呼び出し音や留守電のメッセージも流している。
 実は愛好会員は1人だけなので、この公演は近隣3校の生徒が合同でやっていて、一緒に練習した期間はごく短いのだという。この企画を実現させた先生の努力は敬服に値するし、それに応えた生徒たちの気持ちもすばらしい。
 また、『トシドンの放課後』という作品がいかに良くできているか、あらためて思い知らされた。
 
 
 アジのフライで地酒を一杯。美味、美味。至福の時間を味わっている。感謝。