第8回春季全国高等学校演劇研究大会(北上市)3日目

 3日目最終日。早起きして9時半から小ホールでの『イーハトーボの劇列車』を観る。もう並んでいる。ざっと100人とみたが、後でさらに入って一杯であった。be先生に聞いた所では120人で止めたのだそうだ。平土間に平台で段を作り椅子を置き、地べたに座布団をしき座る。
 井上ひさしの大作を、盛岡市内9高校の演劇部有志が集まって演じた。彼らは「月光演劇團(テアトロルーノ)」と称する。役者が複数校から出る合同公演は、稽古日程、場所の選定が難しい。
 装置はほとんど無い。箱馬をまとめて汽車の椅子を作ってある。窓枠も段ボールの切れ端が貼り付けてある。上手に各場面の時・所を書いた段ボールを立てる。衣装はそれなりに準備してある。主役賢治と尾行警官役が女性なのがやはり違和感がある。
 実質10日間くらいしか一緒には練習していないのだと宮城の先生から聞いた。そのためか、統一的な演出が不十分だったかもしれない。いや、ちょっと早起きして眠かったので一部観ていないのですが。
  ラストのカツラの処理(解釈)と思い残し切符の撒き方が面白かった。下中上と3回投げていた。切符は硬めの紙なのか勢いよく飛んでいた。
 お疲れさまでした。
 
  以下、春フェス3日目。
 
 上演8 静岡県立冨士高校 『寿歌(ほぎうた)』 作、北村想
 既成台本。核戦争直後の終末的世界を描いている、男女3人の芝居。大人の役者が演じるのを観たことはないのだが、おそらく遜色ない出来だったろうと思わせる。北村想の独特な雰囲気も良く出ていた。
 素舞台にリヤカーを牽いて登場するゲサクとリヤカーに乗るキョウコ。いんちき旅芸人という設定。核ミサイルの飛び交う中、どこに向かうのか。途中で行き倒れのヤスオを拾う。この男はヤソ(耶蘇)すなわちイエスになぞらえてあり、イエスのような奇蹟を行う。ゲサクは実はクリスチャンで、イエスは常に吾と共にあるという言葉を言い、傷を負った自分を背負ってくれるヤスオを傷つける。人間が主なる神に犠牲を捧げるのか、神が人間の犠牲となるのか。
 「人間」という存在を言祝ぐのか呪うのか。ギリギリのところで問うているように思われる。演じる人たちがどう解釈したかは別として。
 発声が実に良く、演技力も高く、素晴らしかった。いやお疲れ様でした。
 
 上演9 兵庫県立神戸高校 『ソーニャ姐さん』 作、福田成樹
 幕開き、岡林信康の歌「私たちののぞむものは」。これ知っている高校生はいないだろうなあ。ラストもこの曲だった。歌詞に依存する所があるのだろう。
 チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を2人で演じようという女子高生。前半、早口で長台詞を言ったり、プロレス技を掛けたり(これが上手い)、よくしゃべって動いて、とてもおもしろいのだが、いつまでも方向性が見えないので(実は少しずつ変化しているのだろうが)、次第に飽きてしまい集中が切れてしまった。
 ふと気づくと、『ワーニャ伯父さん』飽きた、やめる。と言って春山が去る。残された桜田が泣き出して幕。分からない(自分のせいですが)。桜田チェリーは牛山モ~。桜田の生き別れの父がワーニャ伯父さんと重なるのか? 
 装置は間口4間半くらいの黒いパンチで部室を表現。下手奥が出入り口。帰るときに電灯のスイッチを押す仕草(マイム)で照明が変化する。下手に音響機器のある机。中央後ろにマット? ここによく倒れ込む。上手に平台が2枚、それぞれ舞台に並行でなく斜めに置いてある。奥のは箱馬に、前のは開き足に載せてある。平台の面には灰色のパンチが敷いてあったようだ。平台の後ろに衣装掛け。中割幕が閉めてある。
 お疲れ様でした。
 
 上演10 盛岡市立高校 『ニッポンSFジェネレイション』 作、松田隆志
 これも東北大会で観ている。今回は春フェス開催県代表ということで、ホストとしてのサービスに徹していたようだ。スクリーンに投影されるロボットとタイトル。祝春フェス、おおとり。楽しいね。
 舞台には間口6間ほどの黒いパンチが敷いてある。中割よりもかなり前の方に横に段ボール箱が山と積んである。これは大震災時の支援物資の山を表現している。この後ろから段ボールを崩してロボットが登場する(人の大きさです)が、その前での役者たちの動きがほぼ横一線に制限されている。
 照明が独特で、頻繁に切り替えられ、ほぼライヴかショーである。スモークを炊いて光条を見せる。
 宇宙科学を専門とした学科のある高校。たった2人の科学部の顧問はマッドサイエンティストの老人。校舎が実は巨大人型二足歩行ロボットであるという奇想天外(でもないか)なお話。2人は乗り込んで操縦するが、ロボットは暴走し始め、周囲を破壊しつつ北上市さくらホールに到着する! (東北大会では仙台市愛子の広瀬文化センターに来た)
 これは震災時の避難所で見ている女の子の夢なのである。人間の制御の手を離れて科学が暴走する。原作はもう少し長かったのだろう、そういった批判的な部分をもう少し表現してみても良かったかもしれない。ギャグはたっぷりあったので。でも最後は科学の力で再び、何度でも立ち上がるという決意を示している。このへんは青森中央さんの『翔べ! 原子力ロボむつ』の悲観的未来像とは対極にあるのかもしれない。
 青いやつたちも健在であった。東北大会ではもう少し数がいたように感じたが。2回観ると、分かっているせいで驚きが薄れたのは残念。かりんちゃんの(実は6歳の設定)踊りの切れの良さとか、博士のとぼけた感じとかはとてもいいのだが。
 最後に整列して挨拶するのは定期公演ではやるのだろうが、大会で見るのは珍しい。大会全体を代表してのことだろう。ロボットの中の人も姿を見せて挨拶していた。
  運営にあたりながらの上演、本当にお疲れ様でした。
 
 以上、全上演に対しての勝手な感想を書かせていただきました。中には自分の不摂生で一部寝てしまったときのものもありますので間違っているところも多いかと思います。誠に申し訳ありません。自分はとても審査員なんかつとまりませんね。
 こうだったんだよとかそれは違うよとか教えていただければありがたいです。