音のいない世界で

 平成25年1月22日(火) 午後6時35分開演 (8時5分)終演
 シベール・アリーナ  ほぼ満席(キャパ500)  入場料5000円(全席指定) L5
 長塚圭史、作・演出 
 
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 一昨日まで新国立劇場(小劇場)で上演されていた作品。明日以降、仙台市北上市で公演がある。
 以下、ネタバレになりますのでご注意ください。
 
 洒落たメルヘンの世界。『十一ぴきのネコ』の延長にあるような感じ。
 カバン(蓄音機)を盗まれたために「音=音楽=歌」を失ってしまった女(とその夫と世界)。「音泥棒」とは「時間泥棒」のように、現実にはありえないが、何か象徴的な意味が込められるような設定である。ただ、エンデのような哲学的なものではない。16場(断章)からなるストーリーはカバン(音、歌)を取り戻して終わる。盗んだ2人の兄弟は仮面をつけるが、動機も正体も不確かであるが、音楽を愛した大切な人(母)、その死の悲しみから音楽を埋葬しようとしていたらしい。弟の方が女を象った人形を持ち去ることからも、それはみてとれる。
 断章のいくつかは、音楽のない世界の、音=歌を失って気落ちしたり、自傷しかけたり、戦争したりという状況を見せる。女がカバンを、男が妻を探し回る間に出会う、歌を忘れた鳥、指揮棒が何かを忘れた指揮者、楽器を武器と思い込む兵隊等々。「星の王子様」の星巡りのように続く。
 
 幕開いている。間口3間半ほどの少し高くなったスクエアの舞台。周囲を幅1尺ほどの溝が囲んでいて、小砂利が敷いてある。そこを歩くとジャリジャリ音がする。奥1間半ほどの位置に家型の壁が舞台幅いっぱいに立っている。1辺1尺半の正方形が続く格子で、透明なアクリル板が貼ってある。中央の高さ1間半。格子の上に裏から半透明のシールが貼ってあり、劇の進行に連れ、少しずつはがすことで壁が透明になってゆく。格子の上・下に出入り口(3尺×6尺)がある。
 舞台は直径3間の回り舞台になっていて、探し歩く人の動きに連れ回転する。壁の出入り口を通して盆の上の道具(椅子とかテーブルとか紙製の鳥とか)が出入りする。おもしろい。
 他に吊り物(蛍光灯、針金の月)、降らせる物(葉、雪)多数。照明は多くの灯体でエリアを区切って細かく当てている。さすがプロはすごい。
 
 初めて生で松たか子さんを見た。
 大人も子供も楽しめるメルヘンの世界を目指したようだが、正直、まとまりのない感じがしないでもなかった。(自分がストーリー偏重の見方になっているのかもしれないが。)
 
 眠いので今日はここまで。