上田美和、作「トシドンの放課後」は、もう全国の演劇部が何度も上演していて、高校演劇の古典的作品となりつつあるようだ。私も、狭い範囲ではあるが、数回観劇する機会があった。本県からこの作品でブロック大会まで進んだ高校もある。
しかし、いつもこの舞台を見ながら、なんとなく違和感があった。部屋の中央に長机があるという設定が、どうもしっくりこない。そして、机の上もあまりにきれいすぎるように感じるのだ。それで、いつか自分のイメージで作ってみたいと思うようになった。
部員数が少なかった時期、部室で練習上演をしてみた。以下はその一つのささやかな試みの記録である。
部室は教室の大きさがあるが、半分を舞台にして、もう半分に照明席や音響席を設置してある。
舞台設定はこうである。上手は庭に面した窓(ブラインドが下ろしてある)。下手は廊下への出入り口(引き戸)。奥は壁(全面に黒いアスファルト紙が貼ってある)。上手窓際に木の机があり、ここが平野の居場所である。中央には生徒用の教室机が三つ、組み合わせて置いてある。上には書類綴りなどが積み上げられている。その下手に衝立があり、入り口から直接室内が見通せないようになっている。
なにぶん部室なので、人形立てやらパネルやらが後ろに立てかけてあるが、まあごちゃごちゃした部屋と言うことでOKか。
平野は上手の机の席にいるときが最もリラックスし、下手の出入り口の所では緊張して萎縮する。平野が部屋に入ってきてから机に着くまでの何歩かの間にこの変化が見えるように演じてもらった。(最後に出て行くときだけは胸を張って出て行く。)
平野の机上は、部屋の雑然としているのとは対照的にきちんと整理されている。
はじめは茜と平野の間に距離があり、平野は背を向けている。
このように設定することで、いろいろと自然な動きが可能になるように思う。長机に隣り合って座っているよりは自然であろう。下手、中央、上手と舞台を三分して、平野の安住している場所、平野が外界と接する場所を区別し、最後は上手の部分にも安住できず、居場所がなくなることを可視化する。ラストで二人が向き合っているとき先生が入って来ても、衝立があるので、二人が何もなかったかのように姿勢を変えるタイミングも取れる。
平野の性格はより内省的で繊細なものにし、自分の性格に絶望していることを強調した。
茜と先生の衝突をより鮮明にし、茜の苦悩の深さを強調した。一人になった茜の荒れ方もすさまじくし、思い切り机上の物を払い落としてもらったのでラジカセは壊れた。
茜と先生。ここが重要である。
茜の苦悩とそれを受け止める平野
進級できない平野は自嘲する。
茜はそんな平野を放っておけない。なんとかしなければという思いが彼女をトシドンにさせる。
絶望する平野