初詣

 おだやかな新年。昼頃初詣に行く。近所の豊烈神社。こちらは幕末山形藩の若き家老、水野元宣を祀っている。 
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 当神社の氏子の範囲は広く(昔の香澄町の広さに当たるか)、打毬(乗馬して行う、ポロに似た競技)が行われることでも有名である。最近は子供御輿を担ぐ子供も減ってしまったが、お祭りには夜店が多数出る。
 
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 今年は年男で還暦(壬辰の生まれ)だが、厄年ということにもなっているので複雑である。
 
 
 昨年は山形で東北大会があり、後半気ぜわしい歳だったが、同時に出場校という立場でもあったので、ブロックの常連校と同じ舞台に立てるうれしさもあった。
 大震災後初の大会ということで、実に特色のある大会だった。でも日本海側では津波もなく、死者もほとんどなく、太平洋側の各県の被災状況とは明らかに違っていた。そんな自分たちが被災者の気持ちにどれだけ、どのように寄り添えるのか、被災者(友人や親類縁者の死を体験した高校生たちもいただろう)の前で演じて、いったい何が伝えられるのか、それが問われることは目に見えていた。
 
 作品に被災者自身を登場させることは到底できなかった(まして死者を登場させることなど…)。震災のことを台詞にして言わせることすらできなかった。その資格は自分にはないと分かっていたからだ。でも、愛する人を失った悲しみに寄り添うために、出来る限りの力を尽くしたつもりだ。
 250名以上の犠牲者を出した消防団員を扱うことにし、また阿古耶姫伝説で南東北3県の関わりを描くことを考えた。そこを直接的に出す案も生徒に示したが、それは選ばれなかった。阿古耶姫伝説の劇と、実際に福島、宮城で被災した人物を重ねて描く(その方がストレートに伝わっただろう)ことだってあり得たのだが、そうはできなかった。消防団員の夫、あるいは兄、恋人を津波で失うという設定は、どう書いても嘘にしかならないと思った。
 
 失った人を、自分は本当に愛していたのか、愛せていたのかという疑問・自責を、どうしたら癒せるか。そこが追求すべき点になった。もし、そのような立場の方が会場にいて、この芝居を観ていただいた場合、ほんの少しでもその人の心を癒せたら本望だ、などという思いでした。だいそれたことですが。
 
 構成が複雑で(自分はそうでもないと思うのだが)、次々に上演が続くコンクール向きではない作品だった。また、被災者自身(あるいは被災地に入ってその苦しみに接してきた人)の訴える、もっと強いインパクトを与える作品の方がアピールするのは当然のことで、結果は初めから見えていたとも言える。そういう大会でした。
 
 
 年末に書いた、四国大会の審査についてですが、四国の高校演劇協議会事務局長さんの説明がありましたのでご覧ください → http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20111230/1325259832
 当事者が一番考えていることであって、外野が云々することでもなく、本当に余計な詮索をしてしまったと反省しています。