やっぱり寒い

 今日から平日講習が始まった。5時までである。5時過ぎまで部活に人はそろわない。部活の終了時刻は6時である。これが2月いっぱい続く。毎日ではないけれど。
 
 室温16℃。台本を読んでいる。椅子を丸く並べて、自分の台詞の番になったら立って、台詞を言うべき相手に向かって読む。数人立ちっぱなしになることもある。演出、助演出、その他があれこれ注文をつけ、読みは精度を増していく。
 
 しかし、脚本に対する考え方が自分にはしっくりこない。まあ他の多くの「高校演劇」の脚本について感じることだが、物足りない、底が浅い、パターン化している云々。もしかしたら自分は、脚本を書く発想が、小説的なものに近くなっているのかもしれない、と思ったりする。
 
 
 東北大会審査員の講評、最後のお一方の分が届いたので掲載させていただきます。
 
                                                            
 
 扇田昭彦 氏(演劇評論家
 
山形県立山形西高等学校『ささやき』佐藤俊一作(創作)
 
 消防団員の若者が火事で殉職し、その通夜が行われる山形市内の通夜会館の控えの間が舞台だ。死んだ俊一は高校時代、演劇部のリーダーで、通夜には親族たちとともに、かつて演劇部の部員だった女性4人も加わる。彼らの通夜から葬儀までを描いた群像劇だ。
 この劇の通り、山形では葬儀社が民家を買い上げて通夜の会場にしている例が多いのだという。
 食器棚、冷蔵庫もある、きれいでリアルな装置がよかった。通夜そのものを描くのではなく、通夜の控えの間に出入りする女性たちを描く発想も面白い。通夜の裏側を描く戯曲には、平田オリザの『月がとっても蒼いから』(1997年)のような秀作もある。
 ただし、この作品の場合、葬儀の細部に関して過剰なほど詳しいデータが盛り込まれている一方、「おや?」と思う個所もあった。例えば、通夜に来た葬儀社の女性社員が黒の喪服ではなく、グレイの服を着ていること。
 故人の叔母の家に嫁いだ中国人の女性が登場し、葬式をめぐる日本と中国の違いなどを語る個所は興味深い。ただし、劇中でこの女性の名前がなぜか語られず、役名も「叔母の家の嫁」となっているのはどうだろうか。
 俊一の婚約者と称する女性がやって来て騒ぐ場面でも、真偽はともかく、この女性は自分と俊一が具体的にどういう関係だったのか語るはずだが、それはあいまいなままだ。
 元演劇部員のうち、みちこは俊一が愛していた女性として描かれ、それは家族からも認知されている。だが、そのみちこがなぜ火葬場に行かないのか、観客としてはとまどいを覚える。
 阿古耶姫の伝説に出てくる、恋人のもとから動こうとしない、切られた松の木の話と、俊一の葬儀車が故障で動かなくなる設定を重ね合わせたのは効果的だ。ただし、見終わっても、心のうちをなかなか明かさないみちこの気持ちが私にはどうもよく分からなかった。
 
                                                                                                                                        
 
これですべての講評が届きました。傾聴すべき点が多々あると思います。ありがとうございました。
 
皆さんも、地区から県、ブロックと、一つの作品に対する審査員(と生徒講評委員)全ての講評を読んで、いかがだったでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
一つだけ…、お二人から指摘を受けた点ですが、「中国人の嫁」の名前はそんなに必要だったでしょうか? 脚本には「俊一の母」「俊一の伯母」など、他にも名前の無い、主たる登場人物がいるのですが…。未熟、不勉強にして分かりませんので、諸氏のご教示を願います。